12.26.2014

[film] 自由が丘で (2014)

19日の金曜日、新宿で見ました。 あそこの、いつもホン・サンスをやる小さいスクリーンではなくて、公開直後だったからかでっかいスクリーンだったの。

スクリーンがでっかいと、なにかしらとんでもないものが現れるかと思いきや、まっ黄色のバックに水色のハングルがすいすい踊って、気がつくといつものホン・サンスの荒野が広がっているばかりだった。

英語題は“Hill of Freedom” ...
「三軒茶屋で」だと “Three Tea houses”、「二子玉川で」だと”Twin Ball River”になる、はずね?
前作あたりの邦題に倣って「モリーは待ちぼうけ」とかでもよかったのに。

タイトルがこれで、主演が加瀬亮だというので、てっきり自由が丘の餃子屋とかで酔っ払った加瀬亮が、そこらのむっちりしたマダムを落としまくるようなやつだと思っていた。… ちがった。

舞台は韓国で、そこのゲストハウスに日本人のモリ(加瀬亮)が滞在していて、彼は年上の韓国人の恋人に再会しにきて、でも会えないので「会いたいよう」とか「今日はこんなことをしたよ」みたいな手紙を書いては彼女に送りつけていて、「自由が丘」ていうのはモリが通う日本人が経営するカフェの名前で、へちゃむくれた犬がいて、犬は無愛想だけど女主人はひとなつこいの。

手紙を受け取ったexだか現だかわからないその彼女は無言で無表情で手紙を読んでいくのだが、途中で便箋をばらばら落としてしまって手紙の順番がわからなくなって、それに呼応するように映画のなかの話の展開も時間の順番がランダムに前後していって、それでも困惑することがないのは主人公がやけくそでだらだら無為に酔っ払ってばかりの日々を過ごしているからで、しかもその副読本が吉田健一の「時間」だったりするので、ロジックとしては鉄壁なの。 手紙のなかの時間、主人公それぞれが過ごしてきた積み重ねの時間、いま、あの界隈に流れている時間とそれに弄ばれるように抗うように酒に溺れる主人公たち、それらをすべて包括するかたちで語られる必ずしも不可逆とは限らない「時間」 - 傍らに置かれた文庫本。 67分という長さも丁度よい。

そんな待ちぼうけのモリの周辺に現れては消えるどうでもいい酒飲みの皆さん、時間の行き来に見え隠れするように酒宴のまわりを回ってだべってうだうだするばかりでものすごく非生産的で、すてきなの。 そうこなくちゃ、みたいに現れて消えて、なんの後腐れもない。 いいなあ。

ホン・サンスが吉田健一をどの程度まで読んでいるのかどうかは知らないが、なんかとっても親和性が高い両者であることはわかる。散歩、食べもの、お酒に読書、酩酊のサイクルぐるぐる。
それにしても、持っていた文庫の「時間」を「それなんの本?」て聞かれて英語ですらすら説明できてしまうモリ、なかなかのやらしい奴だわとおもった。

あとは、これはいつもだけど恋愛の予感とかざわざわ、みたいのを描くのはうまいねえ。モリがカフェの女主人と寝てしまうくだりなんか、時系列が分断されているなかで割と唐突に起こるくせに、こうなることは始めからわかっていた、みたいな感覚がぞわぞわやってくるのでしょうもない。 酒が出てきたならどうせ酔っぱらうでしょ、ていうのに近いかも。

そして、これもいつもだけど、キスシーンがエロい。 


今年のクリスマスソングは、あんましなかったかも。 これくらい。

http://video.vulture.com/video/Bob-s-Burgers-and-The-National

積ん聴き7inchの箱のなかから開封していないJohn Zornさんの2011年のクリスマスシングルが出てきた。ステッカーには”ADVISORY:  This music may cause extreme happiness, big smiles and feelings of euphoria for extended periods” てある。
A面の”The Christmas Song”、しっとりしたピアノに、それ以上に湿ったMike Pattonさんのヴォーカルが貼りついてきてたまんないやつでしたわ。

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