12.15.2014

[film] Gone Girl (2014)

あーつまんねえ国。ぜんぶなくなっちゃえ。

12日の金曜日の晩、六本木で見ました。 初日にしては割とがらがらだったかも。
前日の「スガラムルディの魔女」に続いて、女性恐怖症モノ。 「スガラムルディ...」がおっかないようー、て逃げまくるのに対して、こっちはおっかないようー、て半泣きしながら追っかけるの。

以下はたぶんネタばれみたいなところもある。けど、別にネタばれたからどう、ていうもんでもないもんなのこの映画は。  ちょっと引きつったラブコメみたいに見ることだって。

ある朝、Nick (Ben Affleck)が家に戻ると居間のテーブルが壊され、血痕みたいのがある状態で妻のAmy (Rosamund Pike)がいなくなっていた。警察を呼んで双子の妹のところに身を寄せて、記者会見して公開捜査に踏みきり、遺された手掛かりを手繰りつつAmyの足跡を辿っていくのだが、いろんなことが明らかになればなるほど、Nickにとって不利な - 実は夫が妻を殺して隠したんじゃないか - 証拠とか証言とか事実(彼女は妊娠していた)ばかりがぞろぞろ出てくるの。

二人の出会いから年ごとの関係の変化を追いながら、彼女の過去と現在、彼女にはなにがあって、今はどうなっているのか、どうなっているはずなのか、を想像してみろ(→ 男共)、ていう。

幼い頃から”Amazing Amy”として育てられてきたAmyにとって自分よりバカで愚鈍な男ていうのはありえない、常に機転のきいた会話とかイベントを提供してくれるもの、結婚生活もその延長でなくてはならなくて、相手がその集中力を保てなくなり鈍化の兆候を示しはじめたところで、じゃあ消えてみるか、になる。ほんもんのバカだったらどうせついてこれないし、それで終るんだったらそれだけのもんにすぎなかったってことよねさようなら。
他方、Nickにとって女は自分が楽しませてあげなきゃいけない対象で、相手が求めてくるんだったらそりゃがんばるけど、でもなにやってもついてきてくれなくて的が外れるのだったら、もうそんなのいらんわやめるわ、になる。

Amyていう”Girl”が求めてやまなかった「大事にしてね」、が履行不能になったときに例えばこんなことが起こる、こんなことを起こすことができる、その極端な一例がここにあって、でもAmazing Amyだったらやりかねない。 でもさあ、このふたりみたいな二人って、わりとどこにでもいるよね? 時間が経てばだれでもそうなるんじゃないの?  ちがうの、そうじゃないの、Girlっていうのは。 だからこその”Girl”なの。なめんなよ。

Nickがきちんと理解できなかったのはこのあたりのところで、そもそもの愛が醒めてるんだから理解なんて無理だろ、て言いたいのかもしれないが、理解できなかった/しようとしなかったばかりにこんなひどい目にあった。 残念ながら、裁判して勝てるようなお話しでもないし。

こうして最初から最後まで「なに考えているんだかわからない」Amyの頭蓋の奥にあるものの不気味さと恐ろしさ(ママはそんなこと教えてくれなかったよう)を涙目で訴える男映画になった。
でも、そんなに性差の線引きを強いるようなもんでもなくて、Nickの双子の妹Margo(Carrie Coon)は彼と彼女の中間にいるし、高校の頃からAmyを慕っているNeil Patrick Harrisは、これもまた別の生態系にいる特異な生き物としていたりする。

そして、そんなふうに世界は頭蓋の中と外とできれいに閉じて分かれていなくて、もっともっと猥雑で雑多なもんだったことがじわじわと曝されてくる後半のドライブはなかなかすごくて、しかしAmyはそれを超えてPowerfulでAmazingだったという。
では果たして、”Gone Boy”のお話は成立するのか? たぶんしない気がする。

Rosamund Pikeさんはすばらしい。 めちゃくちゃ堅い頭蓋と顔の皮と、そのひんやりと。
Ben Affleckさんは、我々のイメージのなかにあるBen Affleckさんで、それはつまり"Chasing Amy" (1997)とか"Jersey Girl" (2004) とかに出てくる、Jersey Boyとしての彼どまんなかで、だからこの物語をKevin Smith氏が撮っていたらどうなっていたか、とかちょっと夢想する。

あるいは、Richard Linklaterが”Before... ”ではなく”After... ”の物語として撮るとか。

音楽に関していうと、"The Social Network" (2010) -> "The Girl with the Dragon Tattoo" (2011) -> “Gone Girl” (2014) ときたDavid Fincher & Trent Reznorの連携を仮に「想いを遂げられない」3部作とすると、今作においてその可聴帯域の境界を彷徨うノイズの圧迫感、幻聴感、は最高のレベルにあって、もはや誰にも真似できるものではない。 この二人に撮影のJeff Cronenweth(62年生まれ、DFも62年生まれ、TRは65年)も加えると、彼らの構築した世界がいかに独特で、隔絶された変なやつかが、見えてくるのではないか。
フィクションとして遥か彼方にあるようで、実はまぶたの裏側のひたひたのなかにあって、すぐそこに潜んでいるような(どの作品でも水中のイメージが象徴的に使われていたり)。

ああ、消えちまいたい。

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