2.10.2014

[film] The Wind (1928)

2日の日曜日、「夜の終り」を見たあとでまだ時間があったので、「トーキョー ノーザンライツ フェスティバル2014」の関連企画であるこいつに行きました。
始めて行ったホールだったが、渋谷のあんなところにこんなものが、とちょっと驚き、地方自治体が作るだっさーい公民館建築の典型みたいなとこだねえ、とよくもわるくも感心した。

かの「映画千夜一夜」の表紙になっていた映画をピアノ付きライブで見ることができるんだわ、と。

Letty (Lillian Gish)が故郷のウェスト・バージニアから従兄の住むテキサスへ出ていく汽車のなかから始まって、車内でうなりをあげるすさまじい風の音にびっくりしていると、この風はひとを狂わせるから気をつけるんだよおじょうさん、とか言われる。 到着して従兄の家に住ませてもらったもののその妻は冷たくて、頼りになりそうだった汽車のなかで声をかけてきた男には奥さんがいたりして居場所がなくなり、ふたりいた野卑な牧童のうちのひとりと結婚せざるを得ない羽目となり、かわいそうすぎて今にも壊れてしまいそうなLettyの姿に結婚した彼も手を触れることすらできない。 けど、砂吹雪のなか野性馬の捕獲にみんなが出て行ってたったひとり取り残されると、容赦ない風とかいろんなのが彼女を襲い始めてどうなる、なの。

風の猛威はたんにLettyを襲うだけでなく、我々のほうにも吹きつけてきて口のなかがじゃりじゃり言うくらいなのだが、その同じ風はそこに住んでそれを受ける人たちも十分おかしい状態にしてしまっていて、そこではなにが起こったっておかしくない、という点では、ショッピングモールとゾンビみたいな環境をつくってしまっていて、なんておそろしいホラーなんでしょ、とおもった。 自分が砂の下に埋まってしまう恐怖なら考えつくけど、砂の下に埋めたはずの死体が風が巻きあげる砂の作用で地表に浮かんでくるなんて、ありえない。おっかなすぎ、シェストレム。

上映されたのは(いちおう)ハッピーエンディング版(ほんとか?)だったが、ダークサイド転落版も見てみたい。

サイレントの伴奏って、主に映されている場所とか状況とかと主人公の心理状態を説明することが多いと思うのだが、柳下美恵さんのピアノはぼうぼう吹きつけてくる風をピアノの胴でぐあんぐあんに共鳴させつつ、そこをつんざいて聞こえてこない、届くはずのないLettyの叫びをはっきりと音化していた。
そしてそれが21世紀の東京、平和な日曜日の午後に、弛んだコミュニティの箱のなかで上映されることまで狙っているかのように冷たい砂嵐を送ってくるのだった。(...言い過ぎかしら)

音がライブで鳴ることの意義 (= 砂嵐のなかに埋もれようとしていた叫びを救いあげる)、みたいなのを改めて思い知らされた上映会、であった。

もっと砂嵐を、なのだった。

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