7.01.2013

[film] もぐら横丁 (1953)

22日の土曜日は、朝からフランス映画祭の当日券を買うために並んで(忘れちゃったんだよ、前売り買うの)、午後に京橋の清水宏特集でこれ見ました。

あんま理由はなくて、題名がおもしろそうだったから、ていど。

作家尾崎一雄とその妻をモデルにした実録愛妻モノ、でよいのかしら。
売れない作家(佐野周二)とその妻(島崎雪子)がほのぼの暮らしている。
それはそれは、唖然とするほどほのぼの天真爛漫でハリセンで思いっきりひっぱたいてあげたくなる。 よくこんなの小説にしたもんだわ。 原作読んでないけど。

たとえば。

− 質に出してお金が入ったというのにそのお金で大量のどら焼きを買う。
− どら焼きを食べているそのすぐ後ろで野球やっているのに気付かない。
− 妻がお産で病院に入ったら、そこでできるだけ長く暮らしてやる。
− 病院から新しいアパートへの引越は病院の職員のひとに当然手伝ってもらう。
− 新しいアパートに行ったらなんだか空いていて入れそうだったので、そのまま荷物を運びこむ。
− 家主に怒られたのでたまたまそこにいた学生に出て行ってもらって部屋をあけて、そこに住む。

などなど。

妻が幼馴染と夜遅くまで飲んでて、迎えにでた夫が雨でずぶ濡れになっても、赤ん坊を置いて小銭稼ぎのために妻が勝手にのど自慢大会に出て、その隙に子供が病気になっても、その後で想像しうるようなちゃぶ台ひっくり返す修羅場はやってこない。 気がつくと忘れちゃったのかなんとなく収束して朗らかモードに戻っている。
万事がこの調子で、こんなんだとそのうち天罰がくだるぞ、とか思っていると芥川賞が降ってきたりする。 なんてラッキーな。

ふたりともものすごい人格者か、どこかのネジが壊れてしまった人格破綻者かのどっちかだと思ったのだが、そこまできてようやく「もぐら横丁」の意味に思いあたる。
ふたりとも「もぐら」だから、大抵のことには目をつぶっているか、お互いに見えないかで無邪気に餌を求めて掘り進んでいて、周りにいろんな抜け穴がいっぱいあって繋がっててみんな互いに助け合うのでだいたいのことはなんとかなってしまうの。 ムーミン谷のように幸せな場所なんだとおもう。

横丁の外にでたそんなふたりのもぐらが雑踏のなかではぐれてしまい、お互い必死になって探しあってようやく再会してハグするラストは、芥川賞の感動を遙かにこえるすばらしさなの。

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