9.18.2012

[film] Comédie de l'innocence (2000)

9日の日曜日、アンスティちゅのRaoul Ruiz特集で、1本だけ。 『無邪気さの喜劇』。
なかなか不気味で、変な映画でしたわ。

両親と家政婦と豪勢な邸宅で暮らしている9歳のガキがいて、いつもヴィデオカメラでなんか撮ってて嫌なかんじなのだが、そいつがある日、自分のママ(イザベル・ユペール)をファーストネーム - ”アリアンヌ”で呼ぶようになって、ほんとのママのところに連れていってあげるよ、と言うので車で結構離れたところに行ってみると、そのママ(ジャンヌ・バリバール)は、同じくらいのよく似た子供を亡くしてひとりで暮らしているのだった。 アリアンヌはなんとなく向こう側に行ってしまいそうな息子を繋ぎとめようと...

サスペンスにもホラーにも謎解きにも超常現象にも転びそうなネタなのだが、そういったジャンルの方には向かわずに、ヴィデオで撮られた映像を軸に家族の配置とか巻き戻せない世界とかが、何人かのひとには異なって、変形して見えてきたりする。 その見え方の違いとか取り違えとかをとりあえず「喜劇」(Comédie)と呼んでみましょう、とか。

表面上は、ひとりの子供をめぐるイザベル・ユペールとジャンヌ・バリバールの対決なのだが、どっちが善でどっちが悪とか、そういうのではなくて、基本は誰も悪くなくて、そういう状態のなかで交錯していく目線を、光もフォルムも歪んだヴィデオ映像の側からほぐしてみる、ような。 
監視カメラを通してみた世界から現実をマップしたり翻訳したりしようとすると、例えばこんなふうな誤変換とか誤作動みたいなことが起こる、とか。

『盲目の梟』はちょっと違うけど、『犯罪の系譜』も『その日』も、裕福な家族のおおきな邸宅を舞台になかなかしょうもないことが起こる、というのは、なんか恨みでもあるのかしら。

ふつうだったら、ガキがわけわかんないこと言い出した時点でカメラ没収して尻ひっぱたいて終わり、だと思うのだが、金持ちは甘いのよね、とか。

あと、当然ながら、イザベル・ユペールとジャンヌ・バリバールというふたりの猫系女優の対決はどっちもクールでつーんとしていながら、裏で火花散らしててすごい。
これが男を巡るそれ、ではなくて9歳のガキをめぐる火花、というところがポイントなのね。

あと、いつもながらJorge Arriagadaの音楽がすばらしい。
不寛容と遮られる知覚のまわりでのたくる感情のうねりにぴっちりと張りついて鳴っている音。

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