1.03.2011

[music] Guided by Voices - Dec.30

”Bonjour Tristesse”がおわったのが8時くらい、そのまま地下鉄で33rdにおりて、NJ Path Trainに乗ってHobokenに向かう。 Hobokenからは乗り合いタクシーで$5。

Maxwell'sに行ったのは、2005年のThe dB's再結成ライブ以来かー。

そして、Guided by Voicesのライブを最後に見たのは、2004年12月の解散直前、Irving Plazaの3 daysの、たしかまんなかの日、それ以来なの。

Matadorの21周年で再結成したGBVはこないだの11月にTerminal5でライブやってて、でもチケットなんて取れるわきゃなかった。しばらくして12月31日のNew Year's EveのIrving Plazaが発表になったが、そのときはまーさーかーこのまま年を越すなんてこれっぽっちも思っていなかったので、どうすることもできないし。
年越しが決まったあとも、何度かTicketmasterでころがしてみたが、どうしようもない。 
そりゃそうよね。

だがしかしー、慈悲と慈愛のこころに溢れる神さまは3度目のチャンスを与えてくださって、それがこのMaxwell'sので、もうこりゃ取るしかないだろ、と。 
画面に表示されたチケット代、$75を見てうええええ、Hobokenでこの値段かよ!だったが、これは神のしょっぱい御試練ということで。

Maxwell'sって、普通のレストランの横にライブスペースがくっついているだけで、広さはMercury Loungeみたいなもんなのだが、Yo La Tengoのホームグラウンドでもあって、毎年恒例のHanukkah showの1週間、今年はOpeningでJeff TweedyとかMission of BurmaとかThe Nationalとかが出たんである。 
いちおう、伝説だの神だのが降りてくる場所、ではあるのね。

ライブは8:30開始、とあったので少し慌てて行ったのだが、8:45についても全然はじまる気配なし、前座のDoug Gillardさんのバンドが出て来たのは9:20くらいだった。

バンドは、Doug GillardさんがVo.&Gで、他にG.が1(Cat PowerのバンドにいたErik Paparazzi)、BとDで、すんばらしく固く、軽く、よくしなるギターの音。
ギターバンドとしてのアンサンブルはGBVよかしっかりしていたかも。

ラストに「これはSimon & Garfunkelへのトリビュートです。うそです」
というとても他人事とは思えないおやじギャグをかまして"I am a Tree"を。

ギターもよいが、ほんとにいい曲だよねえ。こんな詞なの。

I am a tree - counting my rings will do no good
I won't live long but I would be with you if I could
When you take flight, remember me to one who lives there
Since you have flown, there's something special in the air


で、GBVが出てきたのは10時40分くらいだったか。もう何時になったってかまうもんか。
GBV! GBV! GBV!の大歓声のなか、客席側から(ステージの裏にはなんもないから)担がれてステージにあがる。

Robert Pollardの髪はもう真っ白で、ふつうの初老の、見方によってはおじいさんであるが、でも彼らは帰ってきた。彼らの音で。
今回のリユニオンは、"classic lineup"ということなので後期の曲はあんまやらないらしいのだが、そんなこと、どうでもいいよね、かんけいないよね。

Robert Pollardは、変わらずマイクをぶんまわし、足あげダンスをして、ウイスキービールを交互にらっぱ飲み、たばこの煙もはいたりのんだりしながら、片っ端から曲を演奏していく。 それだけ。 

音のひどさも相変わらず。 壊れたAMラジオみたいな、まるく、ボールドで分厚い音の塊をどかどかばりばり、バケツで汲んでは流していくだけ。
それが、だんだん頭を麻痺させていくの。 ただ、例えばドローンの轟音が耳と脳を直撃して腐らせていく経験とははっきりと異なる、幾重にも重ねられた鼻歌の、どれ聴いても名曲としかいいようのない2分から3分間のマジックがあたまのなかで、壊れた機械のように勝手にまわりだす。

そう、まさしく、「声によって導かれたなにか」として。

pavementのリユニオンが(かつてよりは)それなりに洗練された今っぽい音を持ち込んできたのとは対照的で、こっちはなんも変わっていない。
それでも、かつて起こりえたかもしれないロックの奇跡とか魔法とか、そういうのを風のように、光のようにもちこむことができるのだとしたら、それはpavementではなくGBVのほうだ、と改めておもった。

途中まで何曲やるか数えていたが、ばからしくなってやめてしまった。
30〜40のあいだくらいかしら。 (あとでWebとかみたら46だった..)

もちろんみなさんお年寄りなので、長くやっているとそれなりにへばってくる。
(聴いている我々もまったくおんなじなのだが)

それでも、終盤の"Johnny Appleseed"以降の流れは、起こるべき奇跡が当然のようにして起こった、としかいいようがなかった。 Robert Pollardももう十分へろへろで、ジャンプすらできない、それでも決してよれることはなかった。 いや、よれるといえば既にじゅうぶんよれよれで、それは間違いなく、かつて90年代にGBVがもたらしてくれた至福 - それはlo-fiと呼ばれた - に他ならないのだった。

アンコールはステージから降りずにしゃがんて煙草すいながら雑談したりして、2回。 
ラストの"Don't Stop Now"は、みんなでぴょんぴょんはねて笑っていた。
だれも、ぜったい泣いたりなんかしないのである。 

ステージから降りて、すでに立っていることすらできなくて、スタッフに両脇を抱えられ雑巾みたいにひきずられて地下に降りていったRobert Pollardをみて、なんともいえないかんじになった。 

金はいくらでも払うから長生きしてくれじじい、ておもった。

終ったのは1時過ぎで、体はじゅうぶんがたがたで、タクシーもぜんぜんつかまらず、ようやく駅にたどりついても電車はぜんぜんこなくて、部屋についたのが2時半すぎ。 

でもかまうもんか、だったの。


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