1.21.2011

[film] Whatever Works (2009)

とにかくずうっとぐしゃぐしゃで、おろおろしているうちに風邪ひくは花粉はとんでくるわそもそもなかったやるきのなにもかもが粉微塵に叩き潰されてしまい、茫然としているしかなかった。 こんなだから日本て。

楽しかったことといったら、ずっと使っていたiPodが壊れたので新しいのを買ったら160GBもあったので嬉しくなって積みあがっていたCDを端からぶちこみまくり、とか、三越の上に長徳が復活したので、食べにいってじーんとした、とか、そんなもんよ。

長徳はいっつも戴いていた小魚・野菜かき揚げがなかったものの、さつまいもの天ぷらは小さくなっていたものの、ものすごくほっとした。 なんか不思議だった。

木曜日には会社やすんだ。 もういいかげんやすむ。

恵比寿ガーデンシネマにお別れを、ということでデプレシャンのとウディ・アレンのを見ようと思っていたのだが、朝から電話会議に巻き込まれてデプレシャンはだめになり、ウディ・アレンのを午後に。

恵比寿ガーデンシネマは、実はそんなには思ひ入れはなくて、思ひ出が残っているのはどちらかというとシネセゾンのほうなのだが、なんにせよ映画を見る場所がなくなるのはかなしいことだ。

それでも、そういえば、あんなひととかあんなひととかあんなひととも一緒に来たなあ、とか思いだそうと思えば出てくるし、時間がたつにつれてそんな「あんなひと」も「あんなひと」も「あんなひと」もみんなどっかに行ってしまってここんとこずっとひとりで見ているなあ、とか、そういうことも思った。 「ミニシアター」というカテゴリーがいつ、どっから出てきたのか知らんし、そういうカテゴリー分けはぜんぜん好きになれないのだが、そういう括りで思いだされてくるなにか、というのは確かにあるらしい。

そんなもやもやを抱えこんで恵比寿にいって、チケット売り場で「人生万歳」と言ってしまってから、いちおう小声で(shit)と呟いて、なかに入る。

映画はよかった。
結構雑に、いっきにがーっと撮っててきとーにつないだかんじだけど、こんなもんでいいや、みたいな軽さも含めて。

ここ数年間、NY以外の異国で、あんま「らしくない」かんじのかっちりしたドラマを作ってきたアレンが久々に自分のホームスタジオに戻って作ってみたアウトテイクスとかデモとか、そんなかんじよ。
ソダーバーグあたりがつくる「小品」あたりとははっきり趣が異なる。 
堂々としたB面、みたいな。

脚本自体は70年代からあったらしいが、それ故に、のぶちきれた勢いが正面からとんでくる。
冒頭の20分間なんて、じじいがこっち向いてべらべら喋るだけなのだが、その「しょうもない感」も含めてアレンが映画でやろうとしていること、その決意表明が珍しくストレートに出ているとおもった。(そして、それでもまだじゅうぶんに怪しいのであるが)

チャイナタウンのアパートに一人で暮らして、仲間と会えば悪態ばっかりついている偏屈老人がある日、家出娘を拾って、そこからはじまるいろんなことなど。

娘と老人は結婚することになるし、やがて現れる娘の母親は写真家デビューして男二人と同棲をはじめるし、母親を追ってきた父親は突然ゲイになってしまうし、娘はやっぱりバイアグラのいらない青年と一緒になるのだし、こんな、人物像としてはいかにもありそう、でもその間で起こるできごとはそりゃねえだろ、な、でも、まあ、トータルでWhatever Worksであれば、よいのでは、べつに、さ、という冷たく投げやりなとこは最近のアレンの作品にはっきりと連なるなにか、だろう。

しかし、これに「人生万歳!」てびっくらマークつきのタイトルつけるかね。
ものすごくネガティブで孤独でひねてよじれた視線しかかんじられないのだが。
なるようになってろ、それでいいんだろみんな、って。 

同様に、みんなウディ・アレンをJazzを愛するやさしくすてきなお爺さん、みたいに思っていないか。
あんなに暗くて意地悪でひねくれててかわいそうな老人はいないとおもうよ。

家出娘役のEvan Rachel Woodはいいよねえ。
あんな変な頑固老人のとこにも、あんな娘さんは現れるものなんだねえ。

Cinema Villageがでてくる。 チャイナタウンのあの店は、あのへんのあそこだ、とか。

で、これの後の"You Will Meet a Tall Dark Stranger"は、またロンドンにもどって、いつものかんじに戻るの。


映画館を出て、丸の内に向かい、『カンディンスキーと青騎士展』を見る。
たぶん内容はそんなでも…と思いつつも、レンバッハハウスから来ているのであれば、見るしかないのね。

ムルナウ時代のがいっぱいあったのがいかった。「山」が見れたし。

カンディンスキーの絵って、内的必然とか精神的なものとか音楽とか即興とか、あれこれ御託は並んでいるものの、絵そのものには、冷たい、無調な、無愛想ななにかがまずあって、そのはじっこに、とってつけたように、ほんわかしたなにかが雲みたいに浮かんでいるところがおもしろいの。

そこが他の青騎士の絵とはぜんぜん違っていて、カンディンスキーがころころその絵のトーンを変えていけたのもそういうことだったのだよ、というのがわかるような展示になっていた、のではないかしら。

あと、カンディンスキーがでぶ猫をだっこしている写真がいかった。

デューラーは諦めた。


それからー、久々にアテネに行って、アナクロニズムの会、ていうのの講演をきいた。
『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画<入門編>』ていうの。
ジャズはずうっとよくわかんない領域であるし、でもいろんなクリップが見られるのは楽しくて勉強になるし。

ジャズ、もあったが、黒人の音楽やめきめきしたダンスを(どちらかというと白人の文化圏にある)映画はどのようにとらえてきたのか、をクリップを通して概観してみた、というかんじか。
キャブ・キャロウェイもカウント・ベイシーもかっこいいよねえ、としか言いようがないの。

"Cabin in the Sky" (1943) みたいねえ。


というわけで、『妄執、異形の人々Ⅴ』も見れないまま、日曜日に再び発つことになってしまいました。

もういいや、なんでも。

でも今度のはたぶんみじかいから。  たぶん...

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