3.25.2024

[film] Merchant Ivory (2024)

3月16日、土曜日のごご、BFI Flareで見ました。内容からすれば、べつにFlareの枠にしなくても。

プロデューサーのIsmail Merchant (1936–2005)と監督のJames Ivory (1928- )と脚本のRuth Prawer Jhabvala (1927-2013)、他に音楽のRichard Robbins (1940-2012) 等からなる映画制作プロダクションで、いまや”Call Me by Your Name” (2017)の原作者としての名の方が先に来るかもしれないJames Ivoryが監督した”A Room with a View” (1985)〜 “Maurice” (1987)〜”Howards End” (1992)などについて、あれらって何だったのか、を振り返っておきたい季節に、このドキュメンタリーはちょうどよかったかも。

E.M. Forsterを原作とする文芸大作の雰囲気と格式を持ちながら、見てみると中身は空っぽのすかすかで、でも衣装と雰囲気だけはとてつもなくうっとりさせられて、あの土地に、あの世界に行きたい浸りたい! って強く思うけどほんとにただそれだけで、でも興行的には当たったりしたので映画マニアの人々からの評判はよくない(気がする)

他方で80年代中頃、カラスで真っ黒のゴス連とか頭悪そうなニューロマのだっさいファッションとか、周囲の「音楽好き」の傾向とセンスにしみじみうんざりしていた若者にとって、これらの映画で展開される表層を滑っていって後になんも残らないふうに構築されたドラマの、登場人物たちの纏うファッションの世界がどれだけ輝いて見えたことか。 これらとThe Style Council(2枚目まで)がいなかったらどうなっていたことか、ていうのはよく思う。 “Downton Abbey”のヒットだって、若い頃にMerchant Ivoryの世界に触れた人たちが動かした部分も小さくないのではないか。

映画は、当時のキャスト - Helena Bonham Carter、Emma Thompson、Hugh Grant - なぜ彼が話しだすと人は笑ってしまうのか? - やその中心にいて唯一の生き残りであるJames Ivoryへのインタヴューとスタッフの声を集めて繋いでいく証言集で、給料の未払いでプロダクションに訴訟を起こしたAnthony Hopkinsはやっぱりいないし、Maggie Smithは参加していない。Maggie Smithさんはお話ししてもいいけど憶えているのは毎日がカオスだったこととカレーのことくらいなのよ、だって(後の監督とのトークで)。

プロダクションの力学としては三権分立が機能していて、James Ivoryが大統領、Ismail Merchantが議会、Ruth Prawer Jhabvalaが最高裁判所だった、と。わかったようなわかんないような(なんとなくわかる)、でもIsmailが亡くなったりしてこのバランスが失われると自然消滅していった、と。

どのスタッフからもキャストからもくどいくらいに強調されていたのが、どの作品のプロダクションも財務的には破綻してて誰もどこからどうお金を調達できてまわせるのか、まわしてよいのか、まわっているのかがわからない - いわゆるふつうの謎と「カオス」にまみれた状態であった、と。そういう混沌と破滅状態のなかであの華麗っぽい貴族王朝ドラマが撮られていた、というのは痛快かも。

最初の方ではインドで”Shakespeare-Wallah” (1965) - これはおもしろいよ - などを監督として作ってそれなりに成功していたIsmail Merchantの姿や、彼とJames Ivoryの出会い、インドとの関わりなどが紹介されたりするのだが、そこから何がどうなってあの破綻まみれの自転車操業 - なのにゴージャスで素敵なドラマに繋がっていった/いけたのかはあんまわからなかったかも。これはこれでおもしろいのでよいけど。

階級とか階層とかしきたりとかモラルっぽい壁とか、もちろん恋とかいろいろ、殆どの人にもれなく纏わりついてきて悩ましいったらないけど、そんなのどんだけ泣いて悩んだってお金や身分で解決できるもんでもなし、どうすることもできない - そういうものもある - だから悩んでないで着飾って踊って恋して遊んじゃえばよいのだ主義(どうせ2000年になる前に世界は滅びるさ)というかスタンスというか、これって中長期的にはどろどろは見たくない聞きたくないの事勿れ保守とか「アートに政治を持ち込むな」派に向かいがちなものであったのかもしれない。

でもよく見てみればここには政治や権力や制度にまつわるあれこれが重層で押し込められていることがわかるし、これこそが文芸の、アートの力なのではないか、というのはコロナの頃に彼らの作品を見返して改めて思ったことだった。

あと、あれらのかっこいいコスチュームをどうやって作っていったのか - コスチューム担当のJenny Beavanさんのインタヴューもあって、上映が終わったら彼女が真後ろに座っていたのでありがとうございました、とお礼した。

当然のように見返したくなったので主要作品だけでもスクリーンで再び見れますようにー。


Maurizio Polliniが亡くなった。
90年代のカーネギーホール(ベートーヴェンソナタの全曲演奏、出張で2回逃したのがいまだに悔やまれる)をはじめ、いちばんコンサートに通ったクラシックの人でした。柔らかさと強靭さというのはひとつの楽曲のなかであんなふうに共存しうるものなのか、というのを返す波のように教えてくれた。ありがとうございました。

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