2.01.2024

[film] All of Us Strangers (2023)

1月28日、日曜日の昼、Picturehouse Centralで見ました。

山田太一の原作は未読、それを元にした大林宣彦の映画『異人たちの夏』(1988)  - 英語題は”The Discarnates”も見ていない。みんな異人なのだから、で許して。

彼方にロンドンのビル群を見ることができるモダンな高層アパートに独りで暮らす脚本家のAdam (Andrew Scott)はどんより浮かない日々を送っていて、自分でもなんとかせねば、と思いつつTVを眺めたり冷蔵庫の残り物を漁ったり、昔の写真を見たり、Frankie Goes to Hollywoodの”The Power of Love”をかけたり、自分でもどうしたものか、ていう顔をしている。

そんなある日、同じアパートの6階に住んでいるというHarry (Paul Mescal)がウイスキーの瓶を片手に扉を叩いて、さっき遠くでちょっと目が合ったよね、って人懐こく一緒に飲まないか? と誘ってきて、ちょっとだけ惹かれてどうしようか、ってなるのだがやっぱりやめておく。

そんなある日、Adamは電車に乗ってCroydonの近郊に行って、かつて住んでいた家の前にきて、昔の家の写真をあててみると、家はまだ前と同じかたちで残っていたので、へええってなっていると、中からママ (Claire Foy)とパパ (Jamie Bell)が現れてよく来たねー、って歓待してくれて、Adamは驚いたり逃げたりしてもしょうがないし、今の自分の年齢で亡くなった彼らと同じ目の高さで相対して、自分がゲイであることとか、昔のいろんなことについて懐かしく話したりして、つい時間を忘れて長居して、これを機に何度か通うようになって、だいじょうぶだろうか? と思いつついつも暖かく迎えてくれるのでされるがままで、雨に降られてびしょ濡れになった彼の服をママが脱がせたりしながら話をするところの細かさとか、なんかよくて。 もうこの世にいないはずの彼らは自分たちがそうであることを知らないか触れないし、Adamも確かめようとは思わない。それよりも話したいことが沢山あるしなによりそうしている時間が愛おしくて。

それと並行するかのように – 何かが開かれたかのように、Harryを好きになって一緒に過ごす時間も延びていって、誰に咎められることもなく、その関係は続いていくように見えたのだが…

ひとをそのひと(たち)と一緒にいたい、少しでも長く、離れたくない、いなくならないで、って思わせるのは過去の記憶なのか、現在の心地よさの持続なのか、情動なのか、そしてそれはどんなふうに終わったり消えてしまったりするものなのか。

なにも、なにひとつ起こらないお話し。Adamが見たり会ったりしていたのは幽霊かもしれないし幻影かもしれないし、それがそうだったとしても、別のなにかだったとしてもAdam以外の人たちにとっては極めてどうでもよいことで、それで世界が動いたり変わったりするものではない。

あるいは、最初の方の、うだうだしていた頃のどこかの時点でAdamは死んでいたのか、それに近い状態だったのかもしれなくて、だからHarryが親しげに近寄ってきた(or 誘いにきた)のかもしれない。どうであっても、風景も含めた画面全体から漂ってくるこの世ではない彼岸とか冥土のかんじが絶妙に心地よく、幽霊のお話しなのにちっとも怖くなくて、ああ向こう側に行けたら、こちらとあちらを隔てているものは何なのか、という切なさがやってくる。

そういう空気を漂わせてしまう真ん中のふたり - Andrew ScottとPaul Mescalがすばらしいことは言うまでもない。このままでよいのか向こうに行くべきか戻るべきか、のようなふにゃふにゃした、ちょっと痛みの伴う惑いを演じさせたらとんでもなく巧いのだが、このふたりでなければ成立しなかったくらいの場を作ってしまっている。

音楽は最後に再び流れるFrankie Goes to Hollywoodの”The Power of Love”の他に、こちらの予告で流れていたPet Shop Boysの”Always on my mind” - これは泣いてしまうのではないか、と思っていたら、家族みんなでクリスマスツリーの飾りつけをするシーンで、ママが曲に合わせて口ずさむところで… あんなのずるい。他にもThe Housemartinsの”Build”とか、他にもBronski BeatとかThe Psychedelic Fursとか、ぜんぶわざと、わかっててやってるんだわ。

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