2.23.2024

[film] 悪は存在しない (2023)

2月17日、土曜日の夕方、BFI Southbankで見ました。
3月初の全英公開前の”Preview”という位置づけで、BFIの3月のプログラム冊子の表紙にはこの映画でこちらを向いた花(西川玲)さんのスチールが使われている。

昨年のヴェネツィアで銀獅子賞(審査員大賞)を受賞していて、英語題は”Evil Does Not Exist”。

監督・脚本は濱口竜介で、はじめは本作でも音楽を担当している石橋英子より依頼された彼女のライブパフォーマンス用のフッテージ(これが”GIFT” (2003)なのかな?)を作っていくやり取りが膨らんで映画になっていった、と配られた紙には書かれていて、なので彼女の名前は”Original Concept”、のところにもあった。“GIFT” (2023)の方は見ていない。

いまや誰も「悪は存在しない」なんて思っていない(と思う)。むしろいまの世に悪ははっきりとあって、それがどういう局面で、どんなふうな現れ方、見え方をするのか、或いは見なかったふりをするのか – その解像度(最近この言葉が使われているようだがあまりよくないと思う)のお話しなのか – かつてのブレッソン映画の主人公に対してのように取りついて何かをしでかすあれ、とは違うのだろうか、とか。

冒頭、すぐそれとわかるJim O'Rourkeのギターと共に木々とその向こうの空を見上げて歩いていくショットが続いて、そこから薪を割ったり泉からタンクに水を汲む巧(大美賀均)ともうひとりの男がいて、遠くで響いた銃声を聞くと娘の花を学校まで迎えに行くのを忘れたことに気づき、慌てて学校に向かうと、もう彼女はひとりで歩いて帰りましたよ、と。

家族写真には写っているものの巧の妻/花の母親はいなくて、彼は東京近郊の小さな村で便利屋をやっていて、汲んでいた水は近所のうどん屋に頼まれたもので、村長も含めてこじんまりと幸せに暮らしているようなのだが、その村にグランピングサイト建設の話が来て、業者側から説明会があるという。聞けば芸能事務所がコロナの補助金をあてにした新事業でろくなもんではなさそうで、実際の説明会でも、浄化槽が村の水源を汚染するのが明らかだったり管理人の数が明らかに足らなそうだったり、事務所がコンサルに丸投げした企画もので、地元の声なんてはなから聞く気がなさそうであることがわかる。この説明会のシーンは”R.M.N.” (2022) -『ヨーロッパ新世紀』のタウンミーティングにあったようにスリリングで、しかしこの映画でのおもしろさは、村人が断固全面反対でふざけんな!になるのではなく、我々もずっとこの土地にいるわけではなく、流れてきたものであり、重要なのはバランスではないか - など、ふーん、みたいなところに落ち着くところ。 「バランス」のはなしになるのか。

話しはここから説明会で村人に火だるまにされた事業者側 - 高橋(小坂竜士)と黛(渋谷采郁)のふたりに移り、東京に戻って社長やコンサルに村人から言われたことを伝えて – 当然連中は計画を変えるつもりなんてない - それを受けて巧に村を代表するアドバイザー兼管理人になって貰うべくもう一度村に戻るところに移る。車中の会話で、彼らの間にもこんなのやっててなんになる? 感が漂う。

村に戻ると薪を割らせてもらったり、みんなで清水で作ったうどんを食べたりよい関係になるように見えるのだが、施設が鹿の通り道を遮ることなども新たな懸念として出てきて、そういえば、と再び花を迎えに行くことを忘れていた巧は…

世界的なヒットとなった前作 - ”Drive My Car” (2021)の(原作故の)わかりやすさも、『偶然と想像』(2021)のタイトルが想起するショートの小気味よさもなく、『悪は存在しない』という言い切りが誰によって、どこに向かって発せられたものなのか、ちっともわからないまま、悪というより「かみさま..」って空や樹を見上げて彷徨うようなその目は誰のものなのか、いったい誰が誰になにをした、したというのか.. 最後まで尋常ではない緊張感が続いて、ぷつんと切れるように終わって、「ね、こんなふうに悪は存在しないよね?」になるのか「悪は存在しない.. なんて言った奴はどこのどいつだ?」になるのか。
「バランス」? 鹿?

最後に再びJim O'Rourkeのギターが空から降ってくる瞬間の戦慄ときたらものすごい。

どうでもいいけど、「グランピング」って、なにが楽しいの?
あと、おいしいうどんを食べたくなるのが辛かった。

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