2.03.2024

[film] Nosferatu: Phantom der Nacht (1979)

1月27日、土曜日の午後、BFI SouthbankのWerner Herzog特集で見ました。
英語題は “Nosferatu the Vampyre”、邦題は『ノスフェラトゥ』。

これの後に続けて『カスパー・ハウザーの謎』(1974)も見て、70年代のHerzogのフィクションの映像の(よくもわるくも)強烈な、引きずりこまれるおもしろさにびっくりしている。これを続けていくのはいろいろきつかったのだろうが、近年のドキュメンタリーばかり、というのもなんかなー。

原作はもちろんBram Stokerので、かつF. W. Murnauのクラシック - ”Nosferatu” (1922)に多くを負っている、といいながらまんなかのふたり - Klaus KinskiとIsabelle Adjaniがあまりに濃く強くそこにいすぎて、原作が、オリジナルがどうという話なんてどうでもよくなってしまうというかー。

不動産屋をしているJonathan (Bruno Ganz)が上司から貴族のドラキュラ伯爵(Klaus Kinski)がこの辺の不動産に興味をもっているというのでトランシルヴァニアまで赴いて商談として纏めてくれないか、と頼まれ、心配する妻のLucy (Isabelle Adjani)をひとり残して、野を越え山を越えのものすごく大変そうな長旅をしてようやく彼のお城にたどり着いたら、見た目だけだとものすごく怪しく変なおじさん – なんの前知識もなしに会ったらそんなかんじ - がいて、それがドラキュラ伯爵で、Lucyの写真を見た途端に興味がある、そちらに行こう、というのだがその頃には彼もLucyも悪夢にうなされるようになり、Jonathanを送り出した上司は精神病院にやられて、伯爵の乗った船には大量のネズミが湧いて船員はみんな死んじゃって…

ドラキュラ伯爵が歩いて移動する - それだけで死と悪夢と災禍をばら撒くばかりで、それはペストやネズミと同じで戦ってどうなるものでもない。なのでvan Helsingもなにもしないし、残されるものも殺されるものもまん中にいるドラキュラも「なんで?」って顔で全員が途方に暮れていて、その救いのない様がいちばんホラーで、それを引き起こしたドラキュラのLucyへの想いも「あんただれ?」みたいなかんじの空回りばかりで、でも彼らの真っしろの顔とガラスの目玉とコウモリの飛翔はものすごくリアルで、ずっと残る。

でも、Herzogの、撮影で使ったネズミさんたちへの扱いを読んでちょっとあきれた。いかにもやりそうだけど。


Jeder für sich und Gott gegen alle (1974)

上のに続けてBFIの別のシアターで見ました。 Werner Herzog特集のなかでも、この作品は公開50周年、ということでリバイバルに近い回数で上映されている。

英語題は”The Enigma of Kaspar Hauser”。原題をそのまま訳すと「人はみな自分のために、神はすべてのものに立ち向かい」。邦題は『カスパー・ハウザーの謎』。カスパー・ハウザーものというと、ペーター・ハントケによる戯曲 (1967) とそれを80年代初に上演しようとした寺山修司、とか、別系で『ブリキの太鼓』 (1979) - 自分で成長と止めてしまった少年の話 - などが思い出される(そんな世代)のだが、それとは別の。

1828年のある日、生まれてから17年間、地下室のようなところに繋がれ転がされて言葉も喋れない状態でおもちゃの馬と遊ぶだけだった彼が、黒マントの男に外に連れ出され、簡単な言葉と歩き方を教わり、というよりしつけられ、その状態で町のまんなかに置き去りにされる。町の裕福な教授Georg Friedrich Daumer (Walter Ladengast)が彼を拾って屋敷に引き取って、きちんとした服を着せてKaspar Hauser (Bruno S.)と名付けられた彼は驚くべきスピードで言葉や論述を習得して、たまになかなか面白いことを言ったりするので周囲からも注目されていくのだがある日再び黒マントの男が現れて…

実在した人物の話なので逸話も伝説もいっぱいあって、テーマも成長や発達に関すること、適応に関すること、自由であること、社会の見世物となること、など彼を前にした人によって、その関わり方によっておそらく多岐で多様で、その中心にあるKasparはどこまでも空っぽの大きな穴のような存在となって中心を風が吹いていて、ああいうお話しが進んでいくなか、彼の内側でどういうことが起こっていたのかは最後まで謎のまま、誰ともわかりあえないまま、ああいう形で突然に死んで(殺されて)しまう。解剖した脳をとりだして、でっかい… とか言ってみたところでそれがどうした、って。

彼の死の床に現れる砂漠をいくラクダの群れ、Werner Herzogが彼の映画のなかで捕らえようとしているのはこういう見たことも触ったことも嗅いだこともなかったような世界のまるごとなのではないか。

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