5.17.2023

[film] Esterno notte (2022)

5月7日、連休最後の日曜日の午後全部つかったイタリア映画祭2023の最後の1本、として見ました。
邦題は『夜のロケーション』- ?  英語題は”Exterior Night”。

映画祭のサイトに行ってみると、会場がだいっきらいな朝日ホールだったのであーあ、ってなってチケット取ろうとしたらIDを、とか言われたのでうんざりして閉じてしまった。こうして結果的に取るのが遅れてとても遠くの席になってしまったばか。

Marco Bellocchioの、昨年のカンヌでも上映された新作。TVシリーズとして放映された6エピソードからなる全300分 – 休憩入れて5時間半。
1978年のイタリアで起こった赤い旅団によるアルド・モーロ元首相誘拐暗殺事件を追ったドラマ。こんなすごいのがTVで見れてしまったらお茶の間は。

冒頭、緊迫した空気のなか、知らせを受けた政治家たちが病院に呼び出されて病室に入ると憔悴しきったAldo Moro (Fabrizio Gifuni)が涙を浮かべて手を振るので見ている方は ??? となりつつ、時間は誘拐前にまでに遡る。

第一部は”Aldo Moro”で、キリスト教民主党のAldo Moroがイタリア共産党の支援を得て新政府を樹立しようとする施政について内外で波風が立っていて、反対派の説得をしていかねば、という朝にMoroの乗った車が赤い旅団に襲撃され、護衛たちはすべて射殺、Moroは連れ去られて大騒ぎになる。その知らせを受けた部下のGiulio Andreotti (Fabrizio Contri)はたまらず嘔吐してしまうのだった。

第二部は内部大臣に任命されたFrancesco Cossiga (Fausto Russo Alesi)が赤い旅団とのやりとりのフロントに立って、報道が過熱する中、人質のMoroの生々しい写真が送りつけられできて騒然となり、やがて旅団からの死刑宣告に続き湖に彼の遺体を捨てた、という声明が。

第三部は法王パウロ6世(Toni Servillo)が友人であるMoroと彼の妻Eleonora Moro (Margherita Buy)のために政界に掛けあおうとするものの対応は冷たくて、他方でバチカンの力で200億リラを集めてMoroの解放に向けて旅団側と接触すべく動くのだが、ローマ法王ですら.. という

第四部はテロリストたちの側から - Adriana Faranda(Daniela Marra)が祖母に娘を預けて赤い旅団に入って、襲撃~誘拐に向けた銃撃の訓練をして、実行後はMoroを殺害するかどうかの議論が続くなか高まっていく旅団への懸念と葛藤など。

第五部は妻Eleonoraが見た事件当日の朝のこと、亡くなった護衛官の葬儀から、交渉にあたっている政治家たちとの確執、ローマ法王とのやりとり、ぎりぎりの条件交渉とそれでも動こうとしない連中に対するものすごい失望、というか絶望。

第六部はエンディングで、やはりMoroを救うことはできずに遺体は発見されて、その後になって彼をいろいろ祀りあげたり国葬とか群がって言いだす政治家たち、そのMoroの没後3カ月後にパウロ6世は亡くなり、ぱたぱたと時が流れていく。2010年にEleonoraが亡くなるまで。

誘拐されたAldo Moroを中心とした政界、バチカン、メディア – その反対側にいるテロリスト、その隙間に挟まってしまった各自の怒りや焦りをそれぞれの目線で日付入りの怒涛の緊張感と共に追って、そのタッチが精緻であろうとすればするほど、どす黒い(わけわかんなくて真っ黒な)政界=ほぼマフィアの闇が – これに比べたらテロリストの方がまだわかりやすい – 浮かびあがってきて、そのありようときたら「真相」? こんなのが?? なのだが、そんな煮え切らない全容が窓の向こうに広がる(エクステリアとしての)夜、なのだろうか。

Bellocchioがこの事件を扱うのは“Buongiorno, note” (2003) -『夜よ、こんにちは』に続けて2度目(他にもあるのかな?)で、ここでもタイトルに「夜」が使われている(こちらのタイトルはEmily Dickinsonの詩から、だけど)。彼にとっては眼前に永遠に明けないまま黒点となってこびりついている何か、なのだろう。この作品を見ると45年前のことでもなんでもない、どこまでものっぺり変わらない夜の風が枯れた怒りと共に吹いてくる。

それを目の当たりにして経験したかどうかもあるのかどうか、でもそんなの関係なくこのドラマの喚起するいまのかんじときたらすさまじい。最近の近めの時代劇 - “Argentina, 1985” (2022)なんかと比べても(比べるな、か)圧倒的な訴求力、というか、なぜあれを止められなかったのか、なぜ朝を迎えることができなかったのか、を300分間えんえん、画面上の粒をぜんぶ束ねて練って繰り返し問うている。

あと、Bellocchioの映画はどれもだけど、俳優がみんな上手いというかアンサンブルの見事さ。Moroと法王は言うまでもなく、駆け引きで建物の隅を這いずり回る政治家や交渉役たちのどいつもこいつもパルパティーンのクローンのような面の厚さ、そのダークサイドの怖さときたら。

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