2.15.2022

[film] Babardeală cu bucluc sau porno balamuc (2021)

2月5日、土曜日の晩、BFI Playerで見ました。映画館が開いているのでストリーミングの方にはなかなか行けなくなっていて(帰ってくるとばったり寝てしまう)MUBIもCriterion Channelもちっとも追えていない。よくない。

英語題は”Bad Luck Banging or Loony Porn”、邦題は『アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ』。監督はルーマニアのRadu Judeで、2021年のベルリンで金熊賞を受賞している。

冒頭、あらあら、みたいな品質の明らかにプライベートで撮ったっぽいポルノ動画が流れる - 棒と穴と喘ぎ声でぐでぐで - みたいなやつ(日本公開のとき、ボカシは入るのかしら?)。

全部で3チャプターから構成されていて、最初のは“One-Way Street”。 名門中学校で歴史の先生をしているEmi (Katia Pascariu)がブカレストの町を横切っていく様子が描かれる。Covid-19下で、マスクをしている人もいればいない人もいて、市場で花を買ったり、通りを歩いていてもしょうもない車がいてイラついたり、この途中で、彼女が夫のEugenと電話で会話して、冒頭の動画が彼女たちの性行為を彼が撮ったものであること、それを彼が自分のPCに入れておいたらPCが故障して、修理に出したらそれが勝手にポルノサイトにアップされていて、削除要請をしたら削除されたものの別のサイトに現れて、いたちごっこになりつつあるのでなんとかしてくれ、と。

で、これを見た生徒だか生徒の親だかが学校に連絡してきたのでEmiの教師としての明日がどうなるのか - 確実にやばいことになりつつある、そんなトゲトゲ困惑してあったまにくるありようがCovid-19の日々のイライラに被さって描かれる。

次のチャプターは“A short dictionary of anecdotes, signs, and wonders”で、辞書形式でEmiがいま直面しているしょうもない現実たちが彼女たちを囲むどういった歴史や宗教やモラルや地勢や民俗や文化の諸要素によって成り立ち、もたらされ、繋がったり捻じくられたりして現前してきたものなのか、をアニメとか寸劇とかのコラージュで戯画化して提示する。 ね、ひどいでしょこんなのばっかし、やってらんないわよ、みたいに。

最後のチャプターは“Praxis and innuendos (sitcom)”で、今回のEmiのインシデントを巡って、彼女を解雇すべきかどうかを協議する父兄会が開かれるというげろげろの展開に。 Covid-19で全員が十分な距離を取りながら、そしてその距離がまた別の苛立ちを掻きたてる中、司会の校長は女性で、制服を着た極右のおやじはいるわ鼻の下を伸ばして寄ってくるのはいるわ、モンスターは当然、女性はそれぞれが微妙なかんじで、結局最後は多数決でEmiが留まるか去ってもらうかを決めましょう、ということになって.. Emiからすれば、なんなのよこれ(怒)? しかない。

最後にこの後に起こりうるシナリオ3つが示される。どれもあってもおかしくない(最後のだけは.. )のだが、自分だったらこれをどう裁定して行動したか - 自分がEmiだったら、自分の子がここに通う生徒だったら、自分が校長だったら - などいろいろ考える。ほんとどうでもよいのだけど、忌々しいったらありゃしない。この忌々しさって、なんなのか、どこからくるのか? 映画は執拗に、くどいくらいに突きつけてくる。

自分のイメージが自分の意図しないところで自分の望まないかたちでいつの間にか勝手に晒されていて、それについて第三者が勝手なことを言ったりひどい場合だと殴りかかってきたり、そういうのを平気でする(しても咎められない) - この作品のポルノは極端な例かもしれないけど、これと同様のことって今のネットカルチャーでは割とふつうに起こっていて、でもこれってネットだからというよりも本来は人権に関わることとしてちゃんと考えられなければいけないし、それを支える政治とか公共とか歴史とかがないとどうしようもない..   って、これが今の日本で起こったら、とかちっとも笑えない。そんなの撮るのがわるい - とか平気で言いそうだけど、そういう態度がもんだいなんだよ、ぜんぶ。

あと、映画というよりは演劇に向いているテーマかも、とか少しだけ。

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