2.07.2022

[film] Alaverdoba (1962) + 2

1月29日、土曜日から始まったジョージア映画祭 2022、既に何本か見て、あと何本見れるかわかんないのだが、ものすごくできるだけいっぱい見たい。

見たことがない映画ってひとつひとつが星のようなもので、近いところにも遠いところにもあっていろんな星座を形作ったりしつつ瞬いていると思うのだが、この特集の映画たちは大きなひとつの星雲のように自分にはでっかく見えて、われら漂流民の虫たちは近寄ったらぜったいやばいってわかっていながらやられたくて幻惑されて突っこんでいくの。あとは食い破られたり乗っ取られたりどうとでも - それで構うもんか、になる。

はじまりはワインでもパンでも料理でも文様でも衣装でもなんでもいい、我々にとって地の果て(別惑星)のように見える山奥や大地で羊たちと暮らしたり戦禍に見舞われたりしながら我々と同じように家族とか恋とか歳月とかの移ろうさまを100年前から映画に撮ろうとしていた人々がいたという驚異。それに出会うことができるという幸運。

国がとてつもなく愚かな鎖国政策を取って目隠しをしようとしている今、ウクライナが大変なことになっている今、視野狭窄を起こさないためにも淡々と見ておいた方がよいの。

というわけでその初日、「シェンゲラヤ家の栄光」という枠から2枠、3本見ました。

Eliso (1928) - エリソ

サイレント。英語題は”Caucasian Love”。 字幕に出てくるグルジア文字のフォントがかわいくてそれだけで..

コーカサスの山奥に集落をなして暮らしている少数民族の人々がいて、ロシア帝国側は自分たちの都合でチェチェン人のトルコへの強制移送を計画して - そこにコサックを住ませようと - 地元の官僚はいいよやっといてー ってそいつに軽く判を押しちゃって、配下の連中は突然村に現れて出ていくように、と告げると家に火を放つ。

その企みを知った村長の娘Eliso (Kira Andronikashvili)の恋人でヘヴリス人 - キリスト教 - 異教徒のVajia (Kokhta Karalashvili)がひとり役所に乗りこんでいって、束になってかかってくる衛兵をさくさく痛快に片付けちゃって、役人に撤回の一筆を書かせてElisoの待つ村に急ぐのだが… 村の中にも穏健派の村長と武闘派がいて、その一部は帝政側と裏で繋がっているし異教徒への態度も違っているし、そう簡単にはいかないところは現代と変わらないかも。

とにかく、そこで平穏に暮らしている人々の生活を外部の連中がなんとかしようとかどうとでもできるなんて思えてしまうことがおかしいしおそろしいし。そして、原作の結末は映画よりも悲惨なんだって..


Alaverdoba (1962) - アラヴェルディの祭

監督Nikoloz Shengelaiaの息子 - Giorgi Shengelaia (1937–2020) の25歳の監督デビュー作。

東ジョージアにある11世紀に建てられたアラヴェルディ聖堂で毎年秋に行われるお祭りの取材に出かけたジャーナリストのGurami (Geidar Palavandishvili) - なんか宇宙人のようにかっこいいんだけどこの人 - の目がとらえた祭りの様子。はじめは祭りの様子を追う半ドキュメンタリーのように進んでいく。

いろんな民族、いろんな宗教の人々が聖堂の前に集って輪になってひたすら飲んで歌って踊って、熱狂があり酩酊があり無関心があって、時間がくるとなんとなくしょんぼり終わっていく - ただそれだけ。映画の前半でお祭りは終わっちゃって、それは冒頭の新聞記事に書かれていたようにお祭り本来の宗教的意義からとうに離れて堕落しているように見えて、そこでGramiはある行動にでる。

それまでのゆったりだらだらした祭りの終わりモードから裸の馬に飛び乗って疾走するテンションへの転調がびっくりで、あの場にいた人々と同じように見ている我々も度肝を抜かれる。映画はこんなふうに見ている人の瞳孔をこじ開けて、そこにとつぜん聖堂が放つ聖なるなにかを…

祭りとか宗教(性)ってなんなのか、なんのためにあるもので、そこに到達するには.. というテーマを聖なるものへのそれとは別の視点 – 宇宙人の目で追ってみて改めて目を醒まさせる、そういう強さと鮮烈さがあると思った。


Tetri karavani (1963) - 白いキャラバン

監督は、Nikoloz Shengelaiaの息子で↑のGiorgi Shengelaiaの兄Eldar Shengelaia (1933- )。

コーカサスの山岳地帯で、年のうち3ヶ月くらいしか家に戻らずにカスピ海沿岸に羊を放牧地に移動させながら暮らしている村の人々がいて - だからここの子供たちはいつも同じ時期に生まれるんだって - そんな家の長Martia (Spartak Bagashvili)の率いる羊飼い団が野山を進んでいくうちに息子のGela (Imedo Kakhiani)が空き家で雨風を凌いでいた漁師の娘Maria (Ariadna Shengelaia)と出会って恋に落ちて、結婚しようよってなるのだが、この機にGelaはこんな暮らしをやめて都会で暮らしたい、という。 Mariaはどうして? って戸惑うのだがGalaの都会暮らしへの思いは止まらなって家族を振り切って..  そうしているうちに大嵐が来てパニックを起こして水辺を暴走する羊たちをなんとかしようとしたMartiaが…

放牧の風景や気候は変わっていくけど単調で過酷な日々のなかに突然現れたMariaのために、ずっと一緒にいられる都会の生活を目指そうとしたのに彼女はそんな変化を特に望んではいなくて、でも後には引けないしきっと何かがあるはず.. って。

田舎と都会と家族のいろいろ、それぞれの理想と現実の間に起こる割と普遍的な「縛り」を巡る物語だと思うのだが、過酷な自然とかなまもの(羊)とかが挟まってくるのでほんとに大変そうだし、自分だったらそんな定めを呪うと思った。なのでGelaはちょっとかわいそうだなー、とか。

あと、Mariaが捕っている魚.. カスピ海のチョウザメだよね。あれすごいー。

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