2.16.2022

[film] 人間に賭けるな (1964)

2月11日、連休の初日にシネマヴェーラの特集『役を生きる 女優・渡辺美佐子』から2本見ました。競輪映画ふたつ。

競輪上人行状記 (1963)

原作は寺内大吉の短編小説『競輪上人随聞記』 - これを大西信行と今村昌平が脚色して、西村昭五郎が監督デビューした。

昔からいろんな人が名作として挙げていて、小沢昭一なのですちゃらかコメディかと思っていたらものすごくどす暗いやつだったのでびっくりした。今村昌平だった。

お寺の次男で、寺を継ぐのが嫌で教職に就いていた春道(小沢昭一)だったが長男の突然の死をうけて呼び戻されてみると、寺の経営はぼろぼろで、犬の葬儀を受けてその肉を焼き鳥屋に横流ししていたり、存命中の父(加藤嘉)からは長男の亡妻(南田洋子)と結婚しろとか言われたり、彼女の子供は実は父の子であることがわかったり、勝手に学校に退職願いを出されていたり酷いことばっかりが積み重なっていって、でもお寺の再建資金をなんとかしなきゃいけない中、たまたまやってみた競輪の最初のが当たったものだからずるずる嵌って抜けられなくなり…

春道が勤めていた学校でも生徒の家出や妊娠とか問題は山積みで、そこから聖なるものを探究する坊主になって偉そうなことを語ってみても身の回りの現実に引き摺られて俗界に堕ちていく重力のありようは変わらず、その抗いようのない格闘をものすごく生々しく執拗に描いていく灰汁の濃さときたら。

春道が競輪に嵌らなかったとしても取り扱う現実はたぶん十分にゴミで泥まみれだし、ヒトとしての春道の中味だってクズで本人もわかっているし、そんなところで何が宗教で修業で救いだよ、っていう苛立ちと絶望がラストの競輪場での講釈 – これもとってもやばい - に収斂されていく。あの詐欺師のような語り口は橋下某そっくりに見えたねえ.. 


人間に賭けるな (1964)

これも原作は↑と同じ寺内大吉で、監督は前田満洲夫。企画が水の江瀧子。

外資系の会社(ディレクターが外国人女性)に勤めるサラリーマン坂崎(藤村有弘)は競輪でスッてばかりで客先からの入金も使いこんでやばい状態だったが、すれ違った上品そうな女妙子(渡辺美佐子)に次のレースは飯田栄治(川地民夫)に賭けるのよと言われて、その通りにしたら大当たりして借金も返すことができたのでびっくりする。

妙子に興味を持った坂崎は再会しても他人のふりをしようとする彼女の周辺を追っていくと、彼女は収監されている極道松吉(二本柳寛)の妻で、極道の姪の美代子(結城美栄子)は飯田栄治の恋人で、彼に競輪をやめて貰いたくて圧をかけて骨抜きにしている。

やがて飯田栄治がでるレースに賭けることを止められなくなって家庭も捨てた坂崎に美代子に反発する妙子が加わって、ふたりは彼が出走する地方のレースを追って地獄の底まで堕ちていって、そしたらそこに松吉が出所してきて…

最初はクールなふつうの会社~公団住宅~和服極妻で抑え気味に展開していた都会の見えたり消えたりの駆け引きが人間に賭け始めた途端にタガを失って転げ落ちていって.. という見事な巻き込まれ型ノワールで、最後にタバコを吸うように刃を突きたてて突っ立つ渡辺美佐子のかっこよさときたら。

最初は人間に賭けて負けるのはバカらしいからやめな、って言ってたのが人間に賭けない生なんてどんだけつまんないことか、にでんぐり返っていくわかりやすい罠 – 賭け事はほどほどに - その真ん中でぐるぐる回る競輪のサーキット。カメラの構図がどこを切っても素敵(撮影は間宮義雄)。

『競輪上人行状記』が日本土着のコミュニティの泥を穿り返して並べていくようなドラマだったのに対し、この『人間に賭けるな』は高度成長期の真ん中で小綺麗に洗練されたかに見えて、でもその根っこは変わらない、どちらも賭博に宗教的な意味や救済(前者がもろ仏教で、後者はキリスト教っぽい)を求めてやまない/やめられない人間の業を切り取っているようだった。そのどちらの画にもミューズのように自分を縛りつけて佇んでいる渡辺美佐子。

でもそもそも、競輪てそんなにおもしろくて危険なやつなの?  映画館とか古本よりやばいの?

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