12.14.2021

[film] Venom: Let There Be Carnage (2021)

12月5日、日曜日の午前、Tohoシネマズの日本橋で見ました。97分は魅力。

前作の”Venom” (2018)はグロそうだったので未見。未見でもいいかー、くらいで。監督はGollumだったりCaesarだったりのAndy Serkis - この人の少し前の監督作 - “Breathe” (2017)は悪くなかった。

予告だけだと二人羽織楽しそうだな、って、全体に漂うB級ぽいばかばかしさがよいと思った。MCUだのマルチヴァースだのあれこれ面倒くさい - その説明を物語というより全貌が見えていない設定に求めてくるところが - になっている時に、この食人鬼対決みたいなB級まるだしのわかりやすさは捨てがたいし、”Love Will Tear Us Apart”が流れるというし。

冒頭、90年代末に矯正院で引き離されてしまうCletus (Woody Harrelson)とFrances (Naomie Harris)のかわいそうなカップルがいて、Francesは移送中に破壊的な超音波をだして逃走して改めて捕らえられてより厳重な施設に入れられ、Cletusは連続殺人犯として刑務所に入れられて死刑執行を待っている。

サンフランシスコでジャーナリストとしてVenomと共生しながらなんとか暮らしているEddie (Tom Hardy)は、Venomのお陰でCletusが犯した殺人の遺体遺棄の場所を突きとめてお手柄になったのだが、刑の執行を待つCletusに改めて面会にいったところで彼に嚙みつかれて、その血からCletusのなかにVenomの亜種 – こいつがCarnage – が刑執行の場で誕生し、Natural Born Killersとして再生したCletusとCarnageは、Francesを救い出して(彼女も凶暴なミュータント-Shriek -Shrekじゃない - になり)ふたりでCarnage -大殺戮を始める。

他方でVenomとEddieは変わらずに喧嘩ばっかりしているので別れることにして、別れたと思ったら上のようなあれこれ都合のよくないことが起こるし、そこにAnne (Michelle Williams)も絡んでやっぱり一緒に暴れるしかない、ので暴れる、それだけなの。 テーマらしいテーマがあるとしたらどんなに憎みあっても離れられない凸凹のふたり、みたいなところか。

こういうのにありがちの、化け物になってしまった(or 共生している)自分の性根とか居場所に関する道徳的な、あるいは実存に関する悩みとか、戦うにあたっての善悪の拠り所とか責任みたいな話はばっさり切り捨てて、Eddieの場合だと仕事とか生活の安定を、Venomだと食欲を満たすところでのみ生きて繋がっているので話がはやい。やっちまえー、でばりばりばりーって。TVの30分の特撮もののような、子供が見ても途中から見てもすぐに没入できて見終えたらすぐに忘れてしまう、そんなやつ。

いちおうSpider-Manのシリーズのなかでは悪役として位置付けられるVenomでも、ここではそれより悪辣なCarnageの登場によっていちおう善玉のような憎めない振る舞いを見せて、そこにEddieのあまりにもふつーの、我々と同じような日常のどうでもいいあれこれを被せて、そこにCletus/Carnageの問答無用の極悪コンビをぶつける。こんなの誰にけしかけられなくても犬みたいに吠えて噛んで戦うしかない。

こんなのが日本では瞬間でも1位になったのだしたら、それはそれで考えさせられてしまうのだが、その根は映画とは別のー、としてよいのだろうか - ほんとはよくないけど、それすらも面倒だからいいや、って。 よくない…

Venomは黒で、Carnageは赤で、ふたつの顔を合わせてみると、Carnageの方がやや崩れて劣化しているように見える。やっぱりコピーされた分家はどこかで質が落ちてしまうのだろうか、とかそんなことも思った。Tom HardyとWoody HarrelsonだったらWoodyの方がすごいに決まっているのにな。

”Love Will Tear Us Apart”はほんとどうでもいいような、てきとーな使われ方だった。つまり。

このあとに見た”Jane Eyre”との食い合わせのわるさときたら。


お正月は田中絹代特集になったらしい。

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