12.07.2021

[film] Passing (2021)

11月22日、月曜日の晩、Netflixで見ました。
今年のNYFFでもLFFでも上映されて評判だった女優Rebecca Hallの監督デビュー作で、Nella Larsenの同名小説 (1929)の映画化。全編モノクロ。

1920年代のNY、暑い夏の日、Irene (Tessa Thompson)がホテルで涼もうとお茶を飲んでいると、こちらを何度もじっと見つめてくる女性がいて、彼女は幼馴染で高校の同級生のClare (Ruth Negga)だった。再会を喜びつつ、近況を聞いていると、彼女は白人のJohn (Alexander Skarsgård)と結婚して、自分は白人として”passing”しているのだと得意気に語るので、ずっと友人だった彼女を自分と同じ有色人種と見ていたIreneはややショックを受ける。

Ireneは同じ有色人種で医師のBrian (André Holland)と結婚して2人の子供たちに恵まれ、ハーレムで過不足のない暮らしをしていて、彼女も有色人種としては肌の色が薄いのでホテルのティールームとかに軽く白人のふりをして入ったりすることはあってもClareのように夫まで欺くようなやり方生き方でいいのか..? って自問しつつ、だんだんClareと会いたくないな、になっていく。Johnのシャレにならないレイシストまるだし発言を聞いたりすると猶更ありえないわ、ってなるのだがClareはお構いなしで、やがてみんながいるパーティの席でClareのこと(彼女が有色人種であること)がばれてしまうと..

“passing”をどう訳したらよいのか、「なりすまし」だとやや強めの故意の悪意を感じるし、「通過」だと向こうが見過ごしているだけなのでばれなきゃいい、のような無責任さも漂うし。

現代よりずっと人種差別や偏見が深く根付き、白人であることの特権が大きかった時代なので、そうやって生きることは生き残るために切実で必要なことだったのだ、という言い方もできるし、いや、そうやっていても何も変わらないし同胞のためにも、という言い方もできただろうし、何よりも嘘をついているってことじゃないのか、とか。 あるいは、これってそこを感知/認知する白人の側の(無)意識やバイアスにも依存することなのでどうしようもないじゃん、それなら.. と言うこともできるのだろうが、でもとにかく、そうやってあの時代を生きた人々はいた。

この件についてIreneとClareが正面から議論したり喧嘩したりする場面はなくて、やや淡めのモノクロ画面の濃淡のなか、ふたりとも”passing”できてしまいそうなところでのIreneの延々続く葛藤と小さな棘のような苦悩が最後まで生々しい。そして誰と誰が争っていて本当の敵はだれでなにで、あっけにとられてしまうラストの一瞬の悲劇は、誰によってどうもたらされたのか、明確には示されない。”passing” - 見て見ぬふり? 見なかったことにしよう?

“Passing”は人種における「通過」を示す概念だが、これと同様のこと – ひとによっては大きいけどそうでない人にとってはどうでもよい – は今ではあらゆる属性 – もっと多様な人種、ジェンダー、セクシュアリティ、等々を跨いで散らばっている。上のほうではダイバーシティ&インクルージョンが経営理念のようなところで語られていく欺瞞から身近なところではSNSでの暴きあいみたいなのまで、ある人をその人として同定することの難しさ、あなたは誰?- 自分は誰?という問いに纏わりついてくる痛みや面倒くささが端正に丁寧に描かれていて、考えさせられることいっぱい。

本作は、この問題の終着点や見解を示すというよりは、決して理解には至らなかったかもしれない - でもおそらく互いのことを十分にわかっていた - ある時代に生きたふたりの女性の交錯を繊細に捕らえた物語で、Tessa Thompsonの、Ruth Neggaの微細な表情の変化や震えを見つめるカメラがすばらしいの。

いまの/これまでのにっぽんでもこれと同様のことってある/あったはずよね。


“The Shop Around the Corner” (1940)がBFIでリバイバルされてる - と思ったら英国各地でやるのかー。よい国だなー。 そして、なんで40年代には素敵なクリスマス映画がいっぱいあるのか。

https://www.bfi.org.uk/lists/10-great-christmas-films-1940s


0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。