11.29.2021

[film] 雲がちぎれる時 (1961)

11月20日、土曜日の夕方、国立映画アーカイブの五所平之助特集で見ました。
このタイトルを頭のなかで言うたびに鳴り渡るUAの同名曲とは関係ないみたい。 それにしても、60年から61年の五所平之助は井上靖原作の3部作を含めて5本も監督しているのね。

原作は田宮虎彦の小説『赤い椿の花』、脚色は新藤兼人。音楽は芥川也寸志。

四国の南の先で危なそうな峠の山道を日々路線バスで進んでいく運転手の三崎(佐田啓二)と車掌の加江子(倍賞千恵子)がいて、ふたりはもうじき結婚する仲であるらしい。関係ないけど山道を進んでいくバスにややラテン調の音楽が絡むだけで、ブニュエルの『昇天峠』(1952) を思い出したり。清水宏の『有りがたうさん』(1936)みたいのかと思ったらぜんぜん違うやつだったり。

ある日三崎のバスに明らかに場違いな都会の恰好(サングラス)をして少し大きめの荷物を抱えた女性が乗り込んで、三崎はなにか気になるようでバスが終点に着いた後にも彼女の後ろ姿を追っていったりする。

ここで話はこの女性 - 市枝(有馬稲子)の話になる。三崎は幼いころに家族をみんな亡くして裕福な市枝の家に引き取られてずっと彼女と一緒に育って彼女のことを想っていたのだが、三崎も市枝も戦争で家が取り潰されて都会に働きに出てからは散り散りで、市枝は看護婦として働いていた頃に二世のアメリカ軍兵士のジェームス・キムラ(仲代達矢)と仲良くなって結婚して女の子ユリが生まれるのだが、ジェームズは朝鮮戦争に出征してそのままあっさり戦死してしまう。さらに酷いことにユリが病気になってお金が必要になり、ジェームズの知人でやくざっぽい野本(渡辺文雄)の援助を受けてからはずるずると水商売に片足を突っ込んで、抜け出そうとあがいていた頃に彼女をずっと探していた三崎と再会して、ふたりは一緒に暮らし始めるのだが、常に献身的に寄ってくる三崎に対して自身の過去に悩む市枝は再び姿を消して..

市枝が故郷に戻ってきたのはユリが亡くなり、彼女のお墓を作って埋葬するためだったのだが、三崎は彼女と婚約者加江子の間で改めて悩んでひとりでぼろぼろになり運転も荒れていくので、市枝(と彼女を追ってきた野本)は改めて自分の過去をぜんぶ曝け出して、もう追わないでそっとしておいて、って告げてお墓ができあがるといなくなる。

こうして市枝をなんとか諦めて吹っ切って加江子ともよりを戻してバスの運転を再開した三崎だったが、トンネル開通前夜の山道で…  すべてが元にもどってよかったね、になると思った矢先、あーらびっくりの悲劇でひっくり返されてしまうの。

井上靖原作のメロドラマ3作(のうち見た2作品)とは明らかに毛色が違っていて(佐分利信のどす黒さと比べて佐田啓二の清らかなことよ - 暗いけど)、誰ひとりとして悪くない登場人物全員がそれぞれの愛と幸せをひたすら求めて祈り、それぞれの境遇のなかで誠実にもがき苦しんでいて、ようやく雲がちぎれて陽の光が.. と思ったらいきなりのあーあ、なの。 原作がそうなのだろうけど救われなさすぎる、というか、ずっとなんも悪くないのに巻きこまれっぱなしでかわいそうだった加江子だけでも(あとは市枝も?)救われたのでよかった、と思うべきなのか。

これ、いろいろ人が亡くなったりするので怪談にもできたかも。ジェームズの霊とか三崎の霊とか、市枝の傍にはジェームズが、加江子の傍には三崎が現れて羨んだり助けたり守ったり。喪失を悲しむ側も適度に慌しく大変なのでまさか霊の仕業とは、っていたら実は.. ってなんか泣けそうだし。佐田啓二も仲代達矢もゴーストに向いた顔だし。

ここまでで五所特集で見た作品たちはおわり。最初の方で出遅れたのでもう一回どこかでやってくれないものかしらー。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。