11.22.2021

[film] 沈丁花 (1966)

11月13日、土曜日の夕方、国立映画アーカイブの『NFAJコレクション 2021秋』という特集で見ました。なんとなくー。
監督千葉泰樹、製作:藤本真澄、原作:松山善三、音楽:黛敏郎というこてこて王道の家族コメディ-ドラマ。

都内の自宅で歯科医をしている上野家がいて、冒頭は亡くなっている父の墓参りで全員がこっちに向かって歩いてくるところで、まずは母あき(杉村春子)がいて、父の後をついで家の診療所で歯科をしている菊子(京マチ子)とその看護婦兼事務をしている次女の梅子(司葉子)がいて、三女の桜(団令子)はもう片付いて赤ん坊もいて、四女のあやめ(星由里子)はもうじきお寺の次男坊(夏木陽介)と結婚するのでいなくなり、あと一番下にまだ学生の鶴夫(田辺靖雄)がいる。

仕事が終わると晩酌したり元気いっぱいの菊子と梅子がこのままではどこにも嫁に行きそう/行けそうにないのを心配してあきと伯父の島田(加東大介)が無断で雑誌に花婿募集の広告を出したら三木のり平が現れて総スカンくらったり、菊子をめがけて放った島田の会社の部下工藤(宝田明)が梅子と仲良くなってしまったり、いろんなことが起こる。娘たち側からすれば結婚したくないわけじゃないが、診察で大口あけている患者を診るとバカらしくなるとか、あたしたちがいなくなったら父さんが残してくれた診療所とか、お母さんだってどうするのよ、とか。

やがて近所に越してきた歯科医の大岡(小林桂樹)が患者になりすまして上野家を偵察しているうちに梅子と恋に落ちて消えて、最後に残った菊子は集中砲火を浴びる - 高島忠夫や小泉博が鉄砲玉で飛んでくる – のだが、結局鶴夫の学校の教授で歯の治療に来ていた金平(仲代達矢)が歯をぐぎぐぎされて痛めつけられたりつんけんされたりしつつ仲よくなっていくの。

おめでたいテーマのせいもあるのか、オールスターっていうのはこういうのだ、って次から次へと知った顔の俳優さんたちがちょこちょこ出てきて、しかもすぐに消えていく(殺されるわけではなく)ので贅沢ですごいなーって。

小津であればもう少しねちっこく意地悪に登場人物ひとりひとりの倫理や切迫感を急所を狙うように刺したり抉ったりしながら家族の残酷なありようを浮かびあがらせるのだと思うが、こっちのは本当に軽くて適当で、だれもなんも責任を負ったりしなさそうで、ほぼ杉村春子と京マチ子の睨み凄みのようなところですべてが動いていってしまう。成瀬の『流れる』の明るい朗らか版、のようなところも。

これも『人生のお荷物』系の、片付かないで家に残ってしまった娘をどこにどうやって家の外に出すか、というテーマを回っていくお話しで、出ていかない理由も出ていけない理由も親の側 - 子供の側それぞれで十分にわかっていて、その周りに「世間」みたいのが星雲をつくっていて、この作品ではその「世間」オールスターズがとっても緩くて間抜けでちょろいかんじに見える。

なので、へらへら笑って見ているだけでさらさらと終わりまで行ってしまうのだが、自身の結婚式を翌日に控えた菊子が夜遅くにあきと向き合うシーンがなかなかすごくて震えた。お母さんありがとう、って言って、お父さんの好きだった沈丁花の話をするだけなのにあの緊張感ときたらなに? 後味がわるい、とかそういうのとも違って、なんか鮮やかに呪いの花粉をふりかけつつ微笑んでいるの。 帰ってきたら殺す - 帰ってこなくても殺す - ごきげんようー みたいな。すさまじい二人。

あと、ちっとも魅力的に見えない小林桂樹を選んだ司葉子も実はなかなかの曲者で、続編では仲代達矢と小林桂樹が揃って地獄の底に叩き落とされるやつ - 『沈丁花の呪い』 - を期待したい。背後で杉村春子が高らかに笑っているの。

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