11.25.2021

[film] 猟銃 (1961)

11月19日、金曜日の晩、国立映画アーカイブの五所平之助特集で見ました。
これまで見てきたのは30~40年代の作品が中心だったが、いきなり60年代のカラー作品になる。ニュープリントだそうで着物も色使いもとても美しい画面。

五所は『わが愛』(1960) - 『白い牙』(1960)- 『猟銃』(1961)と3本続けて井上靖の原作(どれも未読)を文芸メロドラマとして映画化して「愛することも愛されることもできない人間の孤独な心理」を描こうとしたのだと。この作品と『わが愛』は八住利雄が脚色している。(『白い牙』は今回の特集では見れなかった)

冒頭、三杉穰介(佐分利信)が猟銃を抱えて雪山にいて(でも獲物はなしで)何やらかっこいいことを呟き、家に戻るとパイプとか李朝の壺とか素敵な趣味に囲まれて自分ひとりでうっとりしていて、妻のみどり(岡田茉莉子)はあまり相手にされていない。そんな彼女が自分のアルバムを広げていると穰介が横にきて、彼はみどりの従妹の多木彩子(山本富士子)の写真に目を奪われる。

ここで話は彩子のほうに移って、大学で研究中の医師の礼一郎(佐田啓二)と結婚して芦屋で幸せに暮らしていた彩子のところにやつれて攻撃的な口調の女はま(乙羽信子)と小さい女の子が訪ねてきて、この娘は礼一郎の子です、と一方的に告げて女の子を置いていってしまう。それで彩子は礼一郎と離婚することにして、暫くするとはまの事故死(自殺が疑われる)が告げられる。

そんなふうにひとりになってしまった彩子のところに穰介が近づいていって「ふたりで悪人になろう」って囁きながら恋仲になるのだが、その様子をみどりは遠くから見てずっと知っていた、と。 そういう状態でずるずる続いていく穰介と彩子とみどりの関係とか彩子の元で育てられた礼一郎の娘薔子(鰐淵晴子)との温かかったり冷たかったりのやりとりがあり、みどりはどんどん荒れてやつれていって、やがて修羅場と破局が…

みどりは自棄になって病院に運ばれるし、最後は礼一郎の再婚を知った彩子が毒を飲んでしまうし、父を知らない不憫な薔子はなんだこれ、って泣くしかないし。愛を失ってしまう - 愛されていないことを知る女性たちはそれをどう察知し、どう受けとめて行動に移すのかが白い蛇やアザミの柄とかの徴や頬の震えと共に刻まれ、そのぼんやりとした中心にいる男は「美しいもの」に囲まれて何がわるい? とか居直って唸っているだけ - 「美しいもの」の正反対の気持ちわるいグロテスクな獣として。しかもその獣が猟銃を抱えている救いようのなさ。

画面に現れるファッションもインテリアも(とかげのような男を除いて)端正で美しく、芥川也寸志の流麗な音楽がずっと鳴り響いていて、そんななか、愛の喪失を嘆いて震えながら死んでいく(or みどりのように生きようとする)女性の振舞いに寄り添っていかに美しく撮るのか、というのがメロドラマのテーマなのだとしたら - メロドラマとは?ってあんまわかっていないけど – これはメロドラマだよね、という強さで迫ってくる。

これまで見てきたこれよりずっと前の五所作品(見れていない作品のが多いので確かではないけど)と比べると、こうなりました(じゃん ♪)、って終わらない、終われないままの登場人物たちが抱えこんでしまったもやもやまで後をひきながら面倒を見ようとしているかのような。 他方でコトをしでかした(いつもしでかす)男たちの内面がほぼ明らかにされない不気味なところは同じかも。何も考えていないからなのかそもそも空っぽだからなのか。 そんな奴らが猟銃を抱えて -



“Hawkeye”でNYのクリスマスを見ながら、年末年始はどうやっても向こうには行けないのかー、って改めて悲しくなった。 ぜんっぜん新しくもなんともない渡航政策、官僚のせいとか政治家のせいとかいうけど、おまえら全部、自分さえ悪く言われなければそれでいいのだ主義で、ほんとバカみたい。そうやって黒塗りとか白塗りとかバカにされっぱなしで個人情報も垂れ流しされて、世界から100年遅れたって身内で幼稚に馴れ合っていたいのか。 つくづくこの国やだ、ってえんえん。 

 

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。