8.25.2021

[film] Adam (2019)

8月22日、日曜日の昼、日比谷シャンテで見ました。
邦題は『モロッコ、彼女たちの朝』。静かで素敵な映画なのに上映前のTOHOの宣伝がぜんぶぶち壊してくれる。いつもながら。

モロッコはずっと憧れで、最初は当然ポール・ボウルズで、ダニエル・ロンドーの『タンジール、海のざわめき』があって、90年代にNYから一週間くらいかけて旅行でまわった。そのあと、2018年には仕事でカサブランカに行った。何度でも行きたい大好きな土地。

カサブランカの旧市街で、職を求めて美容室の扉を叩いたSamia (Nisrin Erradi)の表情から始まる。職は決まりそうだったのに、そこで寝させて貰えないか? と尋ねたら断られて追い払われた彼女が外に出ると大きなお腹を抱えていることがわかる。なんでもやるから、と数軒訪ねても断られて、小さなパン屋をやっているAbla (Lubna Azabal)のところでも同様だったのだが、店の外でしゃがみ込んでいるSamiaを見た彼女は、表情は硬いまま数日間だけ、と家に入れて寝床を与える。

Ablaの家には小学生くらいの女の子のWarda (Douae Belkhaouda)がいて、夫/父親はいないらしい。WardaはSamiaのことを大好きになるが、Ablaの方は難しくて、でもパン焼きを手伝ったり、もう店では出さなくなっていたルジザ – ひょろひょろのパンケーキ – を作って売ったりしながら3人は少しづつ仲良くなっていく。

そのうち、父親がわからない(正体不明 or 所在不明)Samiaの子は生まれて一緒にいても母子ともに虐待されることが見えているので、生まれたらすぐ養子に出して自分は里に帰る、というSamiaと夫を突然の事故で失って(遺体に会うこともできなかった)から心を閉ざしていたAblaのそれぞれの事情が明らかになる。だからといって事態が好転するわけではなくて、自分たち女性だけではどうすることもできない境遇への苛立ちを抱えたまま、許しあっているけど近づけない、そんなふたりの葛藤が最後まで続く。その緊張の糸がちょっとしたことで撓んでいくのが見えたり、カメラはそのぎりぎりの位置に置かれている。

男性はAblaに勝手に求愛し続けている近所のおっさんと客達が出てくるくらいなのだが、彼女たちに絡みついて身動き取れない状態にしている男性社会の見えない糸の強さが常に彼女たちの表情を凍らせて、故にほんの一瞬の解けたときの笑顔やまだなにも知らないWardaの笑顔が最後まで残る。Ablaが夫と一緒にずっと聴いていた人気歌手のテープ - 夫の死後は聴けなくなっていた – をSemiaがかけて、強張って泣きながらふたりでぎこちないダンスを始めるところとか、アイラインのメイクを入れるところとか、地味だけど静かで強い女性映画。

そして、それでも原題はSemiaでもAblaでもなくて、男の子の名前 – Adamであるということ。あの終わり方からふたりの、さんにんの、よにんのその後を考えてしまう。どうかみんな無事でありますように。

やや暗めの室内を中心とした陰影の画がよくて、Semiaはドラクロワの絵に出てくる女性のようだし、Ablaの表情はPatti Smithのような一瞬の激しさを見せたりもする。カメラはちょっと揺れたりしているので手持ちじゃなくて固定にしてくれてもよかったかも。

カサブランカの市街の様子はあまり出てこないのだが、遠景に建物の連なりとその線が少し出てきて、それは素敵ったらないの。場所によっては遠くの海も見えたりして(だからカモメの声がいつも)。白かったり茶色だったり古かったりの建物が重なるその下にはいろんな生活があるのが見える。そりゃどんな場所だってそうなのだが、モロッコって、フェズの旧市街もそうだけど、その下にあるであろうぐじゃぐじゃぶりがなんかたまんなく愛おしくて、矢野顕子の「ごはんができたよ」が被ってきたり。

そして何を食べてもおいしいところー。 またいつか行けますように。



RIP Charlie Watts.  あのバンドでいちばん好きでした。
彼がウェールズの牧羊犬協会の会長だったという話は、ずっとそうだと長いこと信じてきたのだが、それがデマだったかもと知って揺れている。 なんとなくチャーリーっぽい話だけど。

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