8.05.2021

[film] 四畳半物語 娼婦しの (1966)

7月27日、金曜日の夕方、シネマヴェーラの成沢昌茂特集で見ました。

これがこの特集で見た最後の1本で、始まってから昔に見たことがあるやつだとわかった。それにしても、今回の特集を通して成沢昌茂の作家性みたいのはあんまよくわからなかったかも。どれもとてもおもしろかったのだけど。もっと見ないとだめよね。

原作は永井荷風の『四畳半襖の下張』(の春本版と呼ばれる方?)で、東映の「文芸」路線らしい。冒頭廃墟のようになった古い屋敷に上からカメラが入っていって(ここすばらし)、そこの離れの四畳半の襖の下張にあった昔の人の綴ったおはなしをおっさん(語りは東野英治郎)が愛おしそうに懐かしそうに語っていく。

ある日そこの四畳半にやってきた客 - 糺(田村高廣)を相手にした娼婦しの(三田佳子)は彼のことを気にいって、彼も財布を彼女に贈ったりするのだが、その財布は元々彼女のもので、それを彼女から巻きあげた情夫の竜吉(露口茂)から糺がすったものだった。そういう縁も含めて糺のことを気に入ったしのは自分の本当の名前を教えてふたりで頻繁に会っていくようになるのだが、おもしろくない竜吉はふたりの仲を裂こうとやっきになって、そうしていると糺はよいところから縁談がきたのでスリもやめてそっちに行くよ、と。竜吉はそのまま逃げるなんて調子よすぎじゃねえかおらって突っかかってきて..

この他に厳しくて計算高い宿主の種子(木暮実千代 - 明治一代女)とか、初めてで客の老人を腹上死させてしまう若娘のきみ(野川由美子)とか、それで見境を失って彼女に突っかかっていくその未亡人の浦辺粂子とか、男性はどれもろくでもないクズばかりなのだが女性はみんな強くて逞しい – だからよい、っていうことではなくて全体としてはやっぱり悲惨な時代だったのだと思う。

襖の下張りにあるのを読んだり現れた春画を眺めたりしてよい時代だったのおーって懐かしんだり涎を垂らしたり、昔のポルノグラフィをそのまま楽しむことってもうあんましできないのかも - 少なくとも自分は。 そうやって産業(含.映画)として構造に組みこまれた快楽のありようがセックスワーカーや女性を長く苦しめたり搾取したりしてきた、そのことを知ってしまった今となっては - ポンペイの昔から春画なんてあるし今後もなくなるとは思えないけど – 時代と性産業の過去と現在を、特にその表象のされ方については無神経になりたくない。(これは人種や歴史認識についても同様。特にその見えないようにされてきた箇所については)

その点で、男性たちの影の薄さ – 小悪党でみみっちくて空威張りしかできなくてなんとなく向こうに消えていってしまう – はなんかよかった。ラストに四畳半にやってくる客のやらしいかんじも含めて。

それはそれとして、構図と長回しのカメラがとらえた遊郭宿の佇まいとそこにJazzふうの音楽が被さって見ている我々を連れていく昔の路地とか窓からの景色とかは悪くないと思った。これを「悪くない」って思わせてしまうもの - 上品さ? それってどういうこと? はあるとしても。



もう散々悪口言ってきているけど、ほんとに酷すぎるよねえ。こんな酷いのないわ。
英国のだって相当酷かったけど、彼らは誤りや考慮不足があれば非を認めて謝罪したし、亡くなった人たちや苦しんでいる人たちや前線でがんばるNHSの人たちへの弔意と敬意は常に表明していた。それが彼らを動かしていた。 今の政府の連中ってなんとか委員会で寄り集まってお触れとか注意喚起とかを出すだけで、なんもしないで居直って関係各所に丸投げしておわり。 政治(家)に殺されるってこういうことよ。

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