2.20.2020

[film] A Streetcar Named Desire (1951)

16日、日曜日の晩、Felliniの”Roma”に続けて見ました。Stormの気圧のおかげでへろへろ、もう殺せ、状態だった。

BFIでは、2月~3月の特集、“Elia Kazan: The Actors' Director”が始まっていて、これまであまりきちんと見てこなかった監督だけど、見れる範囲で見てみよう、と。(でもまだ3本しか見れてない)

『欲望という名の電車』- Tennessee Williamsによるピュリッツァー賞受賞の戯曲をBroadway上演時の監督とキャストをほぼ引き継いで – Blanche役のJessica TandyだけLondon公演でBlancheを演じたVivien Leighに替えて – 映画化したのがこの作品。今回の上映にあたり新たにデジタルリマスターされている。

ニューオリンズの駅前にBlanche (Vivien Leigh)が降りたち、”Desire”行きの路面電車でフレンチクォーターにある妹のStella (Kim Hunter)と、その彼Stanley (Marlon Brando)が暮らすおうち(他にも数世帯いるところ)に転がり込む。 Stanleyは肉体労働者で野卑ですぐにブチ切れておっかなくて、彼の子を妊娠しているStellaは怯えたり喧嘩したりしつつも一緒にいて、そういうところに元教師でちゃんとしたお家の娘だったようにつんつん振る舞うBlancheが誰あんた? みたいなふうに入りこむ。

こいつはなんか裏があると思ったStanleyは彼女の過去を探りはじめ、他方で彼の同僚のMitch (Karl Malden)はBlancheの繊細さ(これまで会ったことないタイプ)にやられて彼女を誘うようになって結婚まで妄想して。

ガラスのように壊れやすいなにかを抱えた or 自身がガラスそのものになってしまった女性が酒とタバコとギャンブルでおらおらやることしか考えていない動物 - 男性の間に置かれてしまったときに起こる悲劇を崩れかけた古い家屋と距離の近さが気になる湿気たっぷりの大気のなかに広げてみせる。モノクロのくすんだトーンに建物の明かりとか霧のコントラストが映えてドラマの装置としても申しぶんない。

そこに転がるテーマ - 暴力とか格差とかジェンダーとか教育とか過去とかいろんな観点からラストまでの「あーあ」について言うことができると思うのだが、この映画に関しては俳優全員の演技のものすごさ - アンサンブルというよりそこから必死で逃げ回ろうとする -   その様子を可能な限り生々しく捉えるように画面が作られているところがあって、へたなホラー映画よりもよっぽどこわい。Stanleyがブチ切れてちゃぶ台(じゃない)をひっくり返さないまでも全員がちゃぶ台(テーブル)上に凍りついて動けなくなってしまうとこなんて、見ているこちらまで固まってしまう。 そんな怒んないで、しか出てこない。こわいよう。Blancheかわいそうだよう、ばかり。

ひとはいろんなことを経ていまのその人になっていて –Blancheの場合、夫が同性愛者であることがばれて自殺した過去があり – そういうのをぜんぶ確かめることなんてできないからつい断面の外見や挙動で乱暴に踏みこんでしまうこともあることはあるのだろうけど、でもみんなその点はおなじなんだから最初はふつうにリスペクトなんだよね。男ってほんとやーねー。

今更ながら“Blue Jasmine” (2013)のCate Blanchettってこれだったのかー、って。

いまの日本の与党が実現したがっている家族の理想型って、まちがいなくこういうのだよ。

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