2.21.2020

[film] Baby Doll (1956)

19日、水曜日の晩、BFIのElia Kazan特集で見ました。

脚本はTennessee Williamsが彼の一幕もの“27 Wagons Full ofCotton” (1955)と“The Unsatisfactory Supper“ (1946) をひとつに束ねてこの映画用に書き直したもの。擦れて白っちゃけた35mmプリントがたまんなくて、同じTennessee Williamsものの“A Streetcar Named Desire“(1951)より映画的にはおもしろかったかも。

ミシシッピのデルタ地帯で綿工場をやっている中年のArchie Lee Meighan (Karl Malden)がいて、ぼろぼろの邸宅にメイドの老婆と若妻のBaby Doll (Carroll Baker)と暮らしている。

Baby Dollは彼女の亡くなった父とArchie Leeとの昔の契約だか約束だかで結婚した(させられた)のだが彼女が成人して20歳になるまでは手を出してはいけないことになっているそうで、冒頭からArchie Leeが指をしゃぶって寝ている彼女を覗こうとしているのがばれて喧嘩、みたいなことをやっている。そういう事情があるからかなんなのか、ふたりは子供みたいに小競り合いとか喧嘩ばかりしていて、でもBaby Dollはあと数日で誕生日を迎えて20歳になる、そうなると...   そんなのあるかよ、ってこの設定をのめるかのめないかで、この先どう見るかは変わってくるのかも。

支払いが滞って家の家具をぜんぶ持っていかれてふたりで大騒ぎの大ゲンカをした後、Archie LeeのライバルのSilva Vacarro (Eli Wallach) – シシリアンだそう – の綿工場が夜中に火事を起こして、なんか怪しいんじゃねえかってSilvaがArchie Leeの家を訪ねてきて、あーめんどくせ、になったArche LeeがBaby Dollに客の相手をさせて自分はどっかに行く、とその辺から成り行きがおかしくなって、突然boy meets girlものに。ふたりがぼろぼろの家屋でレモネードを作りながらかくれんぼしたり踊ったりするところは、犬に鶏に豚まで出てきて別の映画のようになるのだが、素敵ったらないの。

そしてこのふたりの輝きが、外から戻ってきたArchie Leeの登場で更に変なふうに捩れてこんがらがって..

南部の廃屋みたいなお屋敷、そこに人質のようになって暮らす女の子、変質者に見えないこともない中年男、老メイドもどこか壊れてしまっていて、そこらを工場で働く労働者がうろうろ、そんなアメリカ南部のホラー映画設定のところに、ややまともに見える(ちょっとぎらぎらした)Silvaが現れて、なにがどう転ぶのか、先がぜんぜん見えないの。これが70年代のアメリカだったらふたりでArchie Leeを殺して旅に出るのかもしれないし、昭和のにっぽんにもこんなのあった気がする設定 - あったよねこんなの? - なのだが、Tennessee Williamsなので..

Karl Maldenは、“A Streetcar Named Desire“でもBlancheに一方的に思いを寄せておいて裏切られたって勝手にぶちキレるしょうもない中年男を演じていたが、今回のもそれに近い、自分より弱めの娘の上に立って父親気どりで快楽を貪る哀れな中年の挙動が炸裂していて、Baby Dollの輝きと見事な対照をみせる。 今リメイクするのだったらこの役はJohn C. Reilly以外に考えられない。

これがデビュー作となるEli Wallachのちんぴらっぽいやばみもよくて、彼はこれでBAFTAの"Most Promising Newcomer"を貰っている。

でも全体としてはやはりCarroll Bakerのすばらしさに尽きる。米国だけでなく世界中でカトリック系を中心に上映禁止をくらったことがそれを証明しているし、冒頭彼女が着ている寝間着なんてもろCourtney Loveの(もちろんCourtneyがマネしてるのね)だし、Holeの1stに"Babydoll"っていう曲もあるし、”Doll Parts"ていうのもあったし。

全体にどいつもこいつもみんな薄汚れてて、そういうなかから這いだそうとする、ってもろグランジのあれかも。

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