2.13.2020

[art] Madrid

1月23日に日帰りでマドリッドに行っていろいろ見てきたやつのうち、主なところを簡単に。

Goya. Drawings. "Only my Strength of Will Remains"

ゴヤのドローイングを約300点、プラド美術館にあるやつだけでなく世界中から集めた展示で、落書きみたいなのから白黒と線だけでひとつの宇宙とか世界を表してしまっているのまで、よくここまで集めたね、というよりやはりよく描いたもんだわゴヤ、としか言いようがない。

この美術館に来ると、いろんなゴヤを3フロアそれぞれで見ることができて、地上階でだれもが知っているド古典の名作たちを見て、その上の階で宮廷画家としての職人技を堪能することができて、その上の階には子供とか動物とかを描くリラックスしたB面というか - でも猫の喧嘩の絵とか大好き - があってとにかくこの美術館でゴヤという画家の深さ恐ろしさを十分に知って好きになって、このドローイング展は、デモやアウトテイク集成、なのかもしれないが、であるからこそゴヤという画家の性格 – 線を引いて塗りつぶしていっぱい描きながら意志の力のみで固めていくような - がまっすぐでていて、これらの流れのなかに彼の画家としてのありようが凝縮されている気がした。

ポートレートはふつうに上手くておもしろいのだが、風俗とか化け物とか死体とかのタッチ、というか思い切りとそれが表出してしまう様がすばらしいの。 そこに北斎のような画狂人の姿を見ることもできるし、わたしは水木しげるかも、とか思った。対象を穴のあくほど見つめて正確に緻密に描こうとするその果てに滲んでしまう歪みとか狂気とか。

A Tale of Two Women Painters: Sofonisba Anguissola and Lavinia Fontana

ルネサンス期のふたりのイタリア人女性画家 - Sofonisba Anguissola (1532 –1625)とLavinia Fontana (1552-1614)の作品を集めた展示で、ほぼ同じ時代に生きたふたりの女性の間に直接の交流はあったのかなかったのか、どちらにしても”A Tale of Two Women Painters”と括らなくたって並べられた作品は瑞々しくて華やかでずっと見ていたくなる。衣装の肌理とか透明なひだひだの緻密さはすばらしいし、こちらを向いた微妙な表情の歪みとかはどこから来るものなのかしら、とか。Sofonisba Anguissolaさんはミケランジェロとかにも会っているんだねえ。すごいなー。

こんなふうにこれまで余りフォーカスされることがなかった気がする女性画家の作品に触れられるのはとてもよいこと。4月からはNational GalleryでArtemisia Gentileschiの展示も始まるよ。

The Impressionists and Photography

プラド美術館でほぼ午前いっぱい潰して、午後にMuseo Thyssen Bornemiszaで見ました。

印象派の作家たちに当時広がりつつあった写真(技術)はどのような影響を与えて、画家たちはそれをどう受けとったりしたのか。 そんなのあったに決まってるじゃん、てふつうに思ってしまうのだが、こうして具体的に並べられると、なるほどねー、とかいろいろ思うところいっぱい。

社会とか自然とか建物とかポートレートとかのカテゴリ別に、当時の代表的な写真作品と、その横に同様のテーマや構図をもった印象派の作品が並べられている。ものによってはもろに写真を見て描いたようなやつもあるし、そうした方が遠近や濃淡を自分で決めたり測ったりして画布に落としていくより簡単だからそうするよね、ていうのと、そういう「省力化」が「見る」行為を含めて印象派絵画の屋内~屋外の網膜に及ぼしたものって小さくないし、それはその先のキュビズム~抽象絵画にも繋がってくるに違いない、って。 絵画論、写真論、批評理論(フーコーのマネ)、いろんなところから考えるネタがてんこもりだったかも。

続いてMuseo Nacional Centro de Arte Reina Sofíaに移動する。いつもマドリッドの3つの美術館はこの順番で歩いて回っているのだが、ここに着くまでに大抵十分へろへろになってて、でもここの企画展は面白いのが常に4つ5つやっているし、常設のゲルニカも見なきゃいけないし、しんどい。 次回はまわる順番を変えてみようかしら。

Ceija Stojka: This Has Happened

Ceija Stojka (1933 – 2013)はオーストリア・ルーマニアの画家で作家で、ホロコーストのサバイバーで、彼女が56歳から描き始めた絵画たちには、一見子供が描いたような素朴さ稚拙さがあって、かわいいーって寄ってみるとものすごく怖い世界が展開されていて … となる。夢でも妄想でもお伽の世界でもない –“This Has Happened”.

Defiant Muses: Delphine Seyrig and the Feminist Video Collectives in France in the 1970s and 1980s

フランスのリールで開催された展示がマドリッドにも来ていて、リールは難しかったけどここなら。だったのだが、彼女の活動を記録したインタビュー映像とか発言の字幕がぜんぶスペイン語だったのは残念だったかも。英語圏でやってくれないものかしら。
TV出演時の(主にフェミニズム関連の)発言とか彼女の活動を時代ごとに追うのと、映画の代表作ごとの展示とかインスタレーションが並ぶ結構規模の大きい展示だった。

いっこ、すごかったのが暗闇に5つ(たしか)のディスプレイが置かれていて、そこに”Jeanne Dielman, 23, Quai du Commerce, 1080 Bruxelles” (1975)の最後、彼女があれをやってしまった後の薄暗い部屋の映像とそこの音をループさせる、というインスタレーション。あの時あそこで彼女が見て聞いていた光景 - あの闇の底で蠢いているのは一体なんだったのか。

おうちに戻ったのは23時くらいでその週の残りはまったく使い物にならなくて。

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