9.19.2019

[log] Paris (2)

The figurative Mondrian

Piet Mondrianがばりばりの抽象に移行してしまう前の具象、形象を追っていた時代を中心とした作品たち。 入り口のところに彼の最初期の野ウサギの絵 (1891) - デューラーの「野ウサギ」が逆立ちしたみたいなやつで、技術的にはすでに申しぶんないの - と最初にみんなが知っている格子を描いた1914年の”Composition N° IV”。  ウサギが檻のむこうに消えていくまでの変遷を追う。

まず、風景画にしても人物像にしてもとにかく完成されていて、線も面も色彩もそれらの置かれ方もかっこよくて、そこでの揺るがない形象がだんだんに揺れたりぶれたり滲んだりしてくる - これらはなんでここにこんなふうになければいけないのか、のような問いと共に。

素朴な風景画から抽象へのジャンプ、というと青騎士から抽象に跳ねてしまったカンディンスキーが思い浮かぶけど、彼ほど理論ドリブンの頭でっかちなかんじはなくて、「近代化」のような外界からの要請もないようで、自分の見つめている風景にどこかからいつのまにか網がかけられて徐々にその地軸や外郭が変容していく、その過程がよくわかるスリリングな展示だった。

企画展の上のフロアにはMorisotの常設コレクションがあるので、これも覗いた。オルセーの展示に合わせたのかいつもよか軽くて明るめの作品が多かったかも。 あとここにはManetが描いた妻Morisotの肖像画があって、そこでの彼女は自身の描く絵のタッチとはかけ離れた、Manetの絵の世界の住人になって少し微笑んでいて、どう? って。

ここまでで15時くらい。さてどうしようか、だったのだが、メトロでCentre Pompidouに行ってベーコン展を見ることにした。 前に来た時も思ったがここの来客対応ってなんかさー。荷物チェックでものすごく並んで、チケット買うのに更に並んで、なのにベーコンのはオンライン購入のみ、とか言われたのでその場でスマホだしてカードだして買った。ばかみたい。

Bacon: Books and Paintings

ベーコンが92年に亡くなるまでの最期の20年間に制作された作品たちにフォーカスした展示。”Books and Paintings”とあるのでタイトルとかモチーフを注意深く見ていけば文学や哲学に関連したものもあったのだろうが、目が疲れていて細かい文字を追う気にはなれず、とにかくでっかい3連の絵画がこれでもかの勢いでぶらさがっていて、精肉工場にいるみたいでおもしろいったらないの。きもちわるいことってなんてかっこいいことなのかしら、って、彼の捩れた肉塊・迸る血潮をみるといつも思う。

カタログはロンドンの本屋で売っていた彼のcatalogue raisonnéのことがまだ頭から離れてくれないので、がまんした。

気がつけば16時半近くて、今回もまた泣く泣くBerkeley Booksに行くのは諦めて、いつものLa Grande Epicerieに行って塩とかバターとかヨーグルトとか引っ掴んでカゴに投げ入れ、果物のところでぼーっと見ているうちに我慢できなくなり、ちょっと力を入れたら潰れてしまううれうれのイチジクとカラバッジョの黄金色に輝くマスカット - 房を持ったときのじゃらじゃら連なってくるかんじがたまらない - をカゴに入れて(投げ込み不可)しまう。

イチジクは耐えられなくなって(耐えろそれくらい)帰りの電車内で食べてしまったのだが、皮を隔てた向こうの果肉はそのままジャムとしかいいようがないぐちゃぐちゃねっとりでうっとり。 こういうイチジクを食べるたびにベンヤミンのことを思いだす。会ったこともないのにね。

あと、どうでもよいのだけどここのヨーグルト売り場、いつ来ても関西弁しゃべる女性のみなさんが、「あ、これやこれや」とかやっているのはなに? なぜ?  フランスのヨーグルトがすごい - なんでなのかしら? - はわかるし、だから買うのだけど(高いけどね)。

あとユーロスターの駅にあるAlain Ducasseのチョコレート屋にピーナツバターが出ていたので買った。まだ食べていないが、すごくやばいやつかとてもがっかりかのどっちかだと思われる。

全体としてはやっぱり時間足らなくて、行ってからSally Mannをやっているのを知ったり、あれこれ残念すぎ。

おうちに着いたのは21:30くらいでした。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。