9.20.2019

[film] Bringing Up Baby (1938)

3日、火曜日の晩にBFIのCary Grant特集で見ました。 邦題は『赤ちゃん教育』 - “Baby”ていうのは豹の名前で赤ちゃんも育児もちっとも出てこないの。ふざけてるわ。

このお話しは大好きで、LDも持っていた。大好きだけど、改めてめちゃくちゃな話だよね、って。

David Huxley (Cary Grant)は礼儀正しくまじめな古生物学者で、ブロントザウルスの骨格標本の最後の1ピースを手に入れて完成させること、もうじきのAlice (Virginia Walker)との結婚をどうするのか - 彼女はてきぱきうるさい - ていうのと、支援者の御機嫌をとって博物館への巨額寄付をとりつけることとかそういうのが関心事で、Aliceとの結婚を翌日に控えたある日、パトロン候補との大事なゴルフできりきりしているとぜんぜん他人のSusan Vance (Katharine Hepburn) がDavidのボールを勝手に打ったり、車をぶつけてきたり、あんた誰? なに? て唐突に絡んできて、しかもまったく、おそろしいくらいに悪びれないし自分のどこが問題かわかっていないし、だから話が通じない。

彼女はその後のバーラウンジでもなんだかんだ勝手に絡んできて、兄がブラジルから送ってきた豹の”Baby” - "I Can't Give You Anything But Love"が子守歌なの - をコネティカットまで送るのに付きあってくれ(動物得意でしょ?)、といい、DavidとBabyと車に乗って、そんなことやっているうちに彼を好きになっちゃって離れたくなくなったので彼の服を隠して、彼がずっと待っていた骨片も犬のGeorgeがどこかに隠しちゃって、Babyはどこかに行っちゃって、サーカスから逃げた凶暴な豹もいてどっちがどっちだかわかんなくなり、そのうちふたりは牢屋に入れられて、いろんなことがあれこれ錯綜してなにがなんだかわからなくなっていくのだが、単純にぜんぶSusanのせいで、でも何度でも言うけど彼女はどこのなにが悪いのかまったくわかっていないのでどこまで行っても収拾がつかない。 Davidにしてみればその救いようのなさときたらホラーのそれとか、カフカとか、そういうのだと思う。出口なし。

でもこれはDavidがうろつく豹を横目に身ぐるみ剥がされて結婚までぶち壊されて、それでも最後には空中ブランコみたいにSusanの片手を捕まえる(と同時に恐竜 - 過去はきれいに崩れ落ちる)、そういう曲芸 - スクリューボールというより曲芸コメディで、ふたりがあの後幸せになるかどうかなんてどうでもよくて、曲芸は得意なんだからきっと、たぶんだいじょうぶだよ、っていうの。

これってニンゲンの恋というよりは動物の求愛行動みたいな、つっかかってなんか隠して探してまたつっかかってそれを繰り返して、反射とか反応しかなくて反省もなくて、満足とか充足とかもなくて、でもおもしろいからいいの。 おもしろけりゃいいの?  いいんだ。

それくらいKatharine HepburnとCary Grantのコンビの阿吽は完成されていて、見ているだけで楽しいの。Cary Grantはどんなひどいめにあっても決して怒らないし怒りを露わにしない。 それは男らしいからとかそういうのとは別の次元で、そうすることで生まれてくるなにかがあることを知っているかのような態度。 そこがこのひとの魅力なのかも、って改めて。

HitchcockとGrantの関係はこないだなんとなくわかったのだが、Howard HawksはなんでいっつもCary Grantをあんなに痛めつけるのか、これはこれでおもしろいテーマになるかも。

どうでもいいけど、大事な骨を隠してしまうわんわんのSkippyは、”The Awful Truth” (1937)にもMr. Smithとして出てくるのだが、こっちでは隠すのの名犬で、あっちでは探すのの名犬なの。 どうでもいいけど。

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