9.28.2019

[film] For Sama (2019)

22日、日曜日の午後、”Le Fantôme du Moulin-Rouge”が終わった直後にBFI内を走り抜けて別のシアターで見ました。ぎりぎり始まったところだった。 

シリアのドキュメンタリーというと、2017年の”City of Ghosts”があり、あれはRaqqaの町を追われて欧州に移り住んだジャーナリスト達の話だったが、これの舞台はAleppoの町で、2012年~2017年迄のシリア内戦下で最後まで逃げずにカメラを回し続けた女性 - Waad al-Kateab(ともうひとりの監督Edward Watts)の話。

”City of Ghosts”は、遠隔で細々と入ってくる情報から懸命に現地の惨状、自分たちに迫ってくる危機を伝えようとするものだったが、こちらは現地のどまんなか、日々の砲撃にさらされながら目の前に広がり、崩れ、人が殺されていく惨状を可能な限りカメラでとらえようとする。

2012年の学生デモの頃から政権に対する抗議が始まって、そこで医師のHamzaと出会って結婚して娘のSamaができて、更にもう一人できて、でも2016年にはアサド政権が町を制圧してしまったので家族でAleppoを追われてしまうまで。 とにかく見ていて本当に悲しくてつらくて、周りもみんな泣いてべそをかきながら見ていた。でも目をそむけてはいけない。

病院には次々に怪我人や遺体が運び込まれて、床はずっと血まみれ、赤ペンキで塗られたよう(塗るのは引き摺られる傷ついた身体)になってて、壁は穴、どころかごっそりなくて、被害者の多くは子供たちで、みんな泣き叫んでいて、その声に被さるように爆撃の轟音や振動はずっと続いて昼も夜も止まない。そうして子供を失って泣き叫ぶ母親にもカメラは向けられて容赦ない。

なんでそこまでしてカメラを回し続けるのかというと、この進行中の、独裁政権による人為的な地獄がどれだけひどい底なしの地獄であるかを正確に記録し世界に伝える必要があって、それができるのはカメラを持った彼女だけだから。そして我々は数年前からこの地獄が続いていること、それを国際社会は認識していながら放置(放置は支援と同じ)し、あるものは金目当てで支援し、結果延々長期化させていることを知っていて、それに関して(自分は)はっきりと責任があるので、これを見て刻んで、断固Noと言う必要がある。 ロシアと経済面でパートナーになり、お金をじゃぶじゃぶ落としまくってご機嫌とってばかりの日本はこれに関しては明確に加担者で、悔しくてたまらない。なんでそんなに企業とお金のことばっかりなの?くそじじい共、頭の芯から腐っているとしか思えない。Gretaさんじゃなくても地団駄ふむくらいに頭にくるし。世界の片隅かもしれないけど、これは今、今も進行形の地獄なのだ。

そんな世界の唯一の希望としてSama(アラビア語で空 – そらっていう意味。怖い飛行機が飛んでこないような空になればいいね、って)が生まれて、彼女は本当に美しいったらなくて、彼女が生まれて最初に対面するときも、ママは笑いかけることができずに泣いてしまう。でもSamaのために彼女はなんとしても生き延びねば、って決意して、実際にそれに沿った決断(Aleppoから出ること)をする。  今の性根の腐った連中ばかりのにっぽんではそんな状況下でなんで子供を作るんだ(ふたりも)とか平気で言うのだろうが、この映像を見てから言え。子供はなんかの目的のために生まれてくるんじゃないんだ。 そんなに高みの見物は楽しいか卑怯者。

感情に訴えすぎ、という人がいるかしら?  そうは思わなくて、今は感情だろうが政治だろうが経済だろうが文化だろうが、いかなる手段を使ってもこの虐殺と暴虐を止めなければいけないの。 数千人はいるであろうSamaのために。

最後のAleppoからの脱出のシーンはずっと拳を握って祈っていて、関所を抜けたらみんなでふーっ、て言う。 同様に爆撃にあって倒れた9ヶ月の妊婦から赤ん坊を救いだして、諦めずにずっとさすったり叩いたりして、真っ白だったその子の目が開いた瞬間 - なんか映画みたいだった - も、みんなでふーっ、だった。

あと、隣に暮らすおばちゃん(彼女と子供たちがまた素敵でさー)が柿をひとつ貰って大はしゃぎするところとか、猫が出てくるところとか、ほっとするところもあるの。

お願いだから、こないだの”Gaza”と並べて、日本でも公開されてほしい。

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