7.17.2019

[film] The Watermelon Woman (1996)

8日月曜日の晩、BFIの特集 - ”Nineties: Young Cinema Rebels”で見ました。 この特集でみる最初の1本。 ぜんぜん追えていないのだが、この特集、”Tetsuo: The Iron Man” (1989)とか「ソナチネ」 (1993) なんかも上映しているのね。

1993年のフィラデルフィアで、レンタルビデオ屋の店員をしているCheryl (Cheryl Dunye) - 監督本人 - がいて、レスビアンの彼女は一緒に働いているTamara (Valarie Walker)と一緒にフィルム製作をするのが夢で、ネタを探しているうち、30-40年代の映画に出てくる黒人女優の多くがクレジットされていないこと、更にお気に入りの”Plantation Memories”に”mammy"として登場する女性が"The Watermelon Woman"としてクレジットされていることに興味を持って、彼女のことを探って、それをドキュメンタリーにしてみよう – で、この映画はそのドキュメンタリー制作の過程を追ったフィクション – モキュメンタリー、なの。

やがてCherylは店にきていたDiana (Guinevere Turner)ていう白人女性の協力を得ながら(Tamaraからは嫌味を言われながら)、自分の母に聞いたりTamaraの母に聞いたり、Watermelon Womanが地元のクラブで歌っていたこと、更にフィラデルフィアのBlack Cultureの研究家のとこにいき、更に更にアーカイブや団体を渡り歩いて、Watermelon WomanはFae Richardsという名前であること、彼女もまたレスビアンでいつも同じ監督の作品に出ていたこと、などなどを突きとめていく。

この辺の追っかけていく手口は、最近のドキュメンタリーのそれに近いのだが、93年頃なんて、インターネットはまだただの原っぱでGoogleなんか存在してないし、検索窓はあるけどエンジンはなくて、探し物ができるようなしろもんではなかったので、探すとなるとこんなふうに人づてで、そのおもしろさと、彼女自身が辺境のマイナーなレスビアンで、奥になにが潜んでいるか得体のしれないレンタルビデオ屋の入り口にいた、ていうあたりが更に楽しくて、更にその上に、彼女たちが作りあげてしまう(捏造、ともいう)歴史、に込められたものとかいろいろ層になっている。

もちろん、そんなことしてなんになるのさ? は今も昔も同じような問いとしてあるわけだが(こういう議論が起こり始めたのってこの頃?)、”The Watermelon Woman”という変てこな名前のまま歴史の隅に置かれてそのまま消えようとしていた何かをこんなふうに掬いあげることは、Blackのレスビアンとして表現に関わって生きようとしている自分の生をひっぱりあげることにも繋がるのかもしれない。資料や文献をひっかきまわしてひも解いて人やその歴史を追う、っていうのはこんなふうに自分のいま立っている地点を見つめて踏みしめる作業でもあって、それは時として本当に人や家族、場合によっては民族をも救うんだよ。

あと、手法、というほどのものではないかもだけど、ヒップホップ的なフットワーク - サンプルしてスキャンしてスクラッチして次へ – みたいな軽快さがよくて、だめでも次いこ次、ってサンダル突っかけてステップを踏むかんじが素敵で、この辺、こんなふうにやってみるといいよ、ていうガイドにもなっていると思った。

主人公たちがレンタルビデオ屋の入り口にいるっていうのも象徴的かも。日本のって行ったことないのだが昔のアメリカのって、パッケージの紙箱(だいたいぼろぼろ)もっていくと奥でごそごそ探してきて中味をくれるの。店の奥に積まれた裸のVHSにどれだけいろんな世界が詰まっているんだろ、って。 マンハッタンだとKim’s Videoっていうのがあって、VideoだけじゃなくてCDも売っていたのだが、あそこにはほんとに新旧いろんなジャンルのが置いてあって、ここの店のスタッフがやがてOther Musicていうレコ屋をね...  昔話えんえん。

本もそうだけど、なんでもオンラインのオンデマンドになることで損なわれたなにか、ってコンテンツ云々(けっ)以前のところでぜったいいろいろあると思う。答えなんかないし戻れるわけでもないけど、言い続けていきたいところ。

ところで、このNineties特集に”Clerks” (1994)が入っていないのは重大なミスではないのか。
Kevin Smithぬきで90’s 映画を語れるわけがなかろうに。

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