4.16.2019

[film] Mid90s (2018)

おなじ青春映画つながりで、こっちを先に書こう。14日の日曜日の夕方、CurzonのSOHOで見ました。
Jonah Hillの原作・監督による(タイトルまんまの)90年代中期の子供たちのお話し。

こないだの”Captain Marvel”もそうだったけど、なんでか90年代ブームが来ているようで、羽田で買った女性誌にもその特集があって、なんだろうなって。 ブームになるからにはなんらかのニーズとか必然があるのか、供給する側のたんなるノスタルジー( and それを表に晒すだけの余裕がでてきたってこと)なのか、わかんないや。

13歳のStevie (Sunny Suljic)は怒りっぽい兄のIan (Lucas Hedges)とシングルマザーのDabney (Katherine Waterston)とLA郊外の一軒家に暮らしていて、退屈でつまんなくて、スケボーをやっている少年たちを見ているうちに自分もやりたくなって、遠くから少しずつその群れに近寄っていって、4人組の端っこに入れて貰って、嬉しくてしょうがないのだが怪我はするわタバコは吸うわ家から遠ざかるわ怒られるわだんだんに荒れていって、でも基本は御機嫌で、それだけのお話しなんだけど。

親兄弟や周囲とぶつかって傷だらけになりながら滑って転んでなにかに目覚める(目覚めた気になる)Coming-of-ageのお話しでいうと、”Lady Bird” (2017)があるし、”Eighth Grade” (2018)があるし、スケボー仲間とのあれこれ、でいうと”Skate Kitchen” (2018) – これは東海岸 - があるし、似たような映画はいくらでも出てきて、どれもハズレなしでよいのは、たんじゅんに「青春映画」なんて括れない地点に連れていって(→ Wild Tour)ストーリーなんてどうでもいいからそこにいるひとりひとりをきちんと掬いあげていることで、すごく乱暴だけどそのひとりの子が画面のなかで思いっきり勝手に適当に生きて動いていればそれでいいの。

これは主人公が男の子だし、Jonah Hillなので結構痛そうな、おいおいみたいなこともやっていて、勢いが足らなくて落っこちるとこなんて笑ってからだいじょうぶか.. ってしーんとなって、あ生きてた生きてた、の呼吸なんて見事に彼のコメディのノリもあったり。

92年にクリントン政権になって、その頃に覆っていたグランジの、クズもゲロも含めてリアルであれ、ていう呪縛が徐々に解れてきて「オルタナティブ」のラベルと共にみんなが好き勝手にやりだした頃、というのが自分にとってのMid90sで、その仕切り枠にはきちんとはまっている。 それがどうした? っていうかもだけど、それがあって初めて音楽もファッションも、この映画の場合はスケボーも活きてくると思うのでとても大事なことで、これの反対側には、今から20年以上前のアメリカのことをこんなふうに出されても..  ていう戸惑いがあるのもわかる(英国でのレビューがあまりよくないのはその辺かしら)。

もういっこ、スケボー仲間のひとりひとりの顔がよい具合にでこぼこばらけていて、その中のStevieの子供顔が際立って、後ろの席にいた女性ふたりは彼がなんかしでかす度にずっとこの子Cuteすぎる.. って悶絶していた。あれじゃママも心配するよね。

この映画のタイトルがなぜStevieの呼び名である”Sunburn”ではなくて、ある時代の呼称になっているのか? (”Eighth Grade”もそう..   “Lady Bird”が別格なのはわかる)
そして、*Wild Tour*というタイトルは時間軸ではなくて土地や地形に関わるそれで、”The Myth of the American Sleepover” (2010) とかの方に近いかも。

音楽はこの程度のガキ共のノリであれば当時のエモとかGreen Dayみたいのを流しておけば楽勝だろうにそうはせず、Trent Reznor & Atticus Ross組がこれまでの彼らのサントラの音作りとは結構違う粒と方角ので固めていて、それが当時の(そんなメジャーではない)ヒップホップのかっこいい曲群とMixされて - 挿入曲と彼らの音の繋ぎとかどうやっているのか - まったく新しい音風景を作りだしている。 このどこまでも異化するかんじ、”Wild Tour”の音楽もそうだったけどすごくよい。

あの音にTrentにとっての90sは反映されていたりするのかしら?

すんごくどうでもよいけど、当時のCDのパッケージのシールとか、そういうのでじーんときたり。

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