5.08.2016

[film] Spotlight (2015)

17日の日曜日の午後、新宿でみました。
00年代の始めの、ボストンの新聞社を舞台にしたスクープとそのネタ掘りの実話ね。

2001年、Boston Globe紙に編集局長のLiev Schreiberが着任したところで、彼はかなり昔から小ネタ的にあがってはいるもののなま乾き状態で放置されてきた地元カトリック教会の子供への性的虐待事件/問題を取りあげるようSpotlightチームに指示する。 Spotlight、ていうのは、同紙内でひとつのネタを継続して追っかけていくコラムで、そこでもかつてこのネタを扱ったことはあったのだがそういえば、と戻って振り返ってみると、なんかおかしなところが出てくる。

被害者の弁護士も教会側の弁護士も妙に頑固でほとんど動きがないし情報をくれないので、地味に被害者の声を拾っていくのだが、被害者も年を取っていくし、加害者のほうはどこかに異動か休職か休暇中になっている。でも被害者の痛みや苦しみは消えていないのだから、と入手できる情報をこまこま分析していくと虐待を加えていた(と思われる)教会関係者、地域、そして被害者の数は裁判になっていない分も含めると過去30年間でとんでもない数に膨れあがっていくのだった。

これをいつ、どのような形で公開するのか、についてのいろんな攻防 - カトリック教会側との、新聞社の上との - がスリリングで、早期の発表を求めるSpotlightチームに対して、神父ひとりひとりを告発するんじゃない、告発すべきなのは組織的にこれらを隠蔽してきた教会のシステムそのものなんだ、て上はいう。
こうして2002年に我々の知るようなかたちでのスクープが発信されて、もちろん大騒ぎになった、と。

Spotlightチームを率いるMichael KeatonやMark Ruffaloといった渋いおじさんたち(Rachel McAdamsさんは …)がユーモアの欠片もなしに事件と向き合い、悩み、一直線に奔走する姿はテーマの重さからしてもオスカーなんだろうな、としか言いようがないのだが、テーマのでっかさ、スキャンダラスさから正義のジャーナリスト達を描いた映画のように捉えるのはちょっと違っていて、彼らも事件をわかっていながら長年放置しておいたという点ではより広義な「システム」の一部なのかもしれないと、そういう苦さも描かれている。
なので、編集局長のLiev Schreiberがなんであそこまで力強く揺るがずにGoを出し続けたのか、やろうとしたのか、はもっと掘り下げてもよかったかも。

この、個人というよりもシステムを相手にして追求の手を緩めない、ていうのはそうだよねえ、マスメディア、ジャーナリズムのそもそもの役割ってそこだよねえ、て今のこの国のメディアの惨状をみるとしみじみまっ暗になってしまう。
今読んでいる(あとちょっと)トーマス・ベルンハルトの「消去」に『新聞社のデスクというのは糞ひり野郎以外の何者でもない』ていうところがあって、ほんと日本のことだ(噴)、て思って、まだちゃんとした志をもっている(と思っている)ひとに見てもらいたいもんだわ、だった。

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