5.11.2016

[film] Cemetery of Splendour (2015)

9日の深夜にシンガポール行きの飛行機に乗りこんで、なんにも食べず、なんにも見ないで眠りに落ちて着陸態勢のアナウンスが出たところで起きあがったら喉をやられて声がでなくなっていたのでびっくりしたが、とにかくシンガポールに着いて仕事して夜はされるがままにどこかに連れていかれてホテルに戻ってからはぐったりだったのでTVでやっていた"Cinderella" (2015)を見ながらしんだ。ていうのが昨日で、本日も同じようにまる一日監禁状態で、午後に逃げようとしたらすさまじいスコールが来てどうしようもなくて、やはりどうすることもできずにホテルに戻って来た。
いま、TVで”Walk of Shame” (2014) ていうのをやってる。  Elizabeth Banks vs 猫。


23日、土曜日の昼、渋谷で見ました。
もわーんとしたアジアでだらーんと書くには丁度よいネタかも。 『光の墓』

廃校になっている木造平屋の建物が病院になっていて、そこに男達がごろごろマグロのように死んだように寝ていて、でも彼らは死んではいなくて、みんな深く寝入ったまま起きてこないのだという。なかなかの病気ではないかと思うのだが誰も慌てず騒がずに、脚のわるいジェンていうおばさんと知り合いの看護婦と死者とかと交信できるおねえさんとかがいて、のんびり面倒を見ている。

たまに目を覚ます(でもまた落ちる)患者とかと話をしてみると、この土地はおお昔は戦場で、そこで彼らは兵士として戦い続けていることとかがわかってくる。
アフガンの帰還兵を治療したというネオン光を出す機械を入れたり、お詣りにいったらそこに祀られていたお人形が生もののお姫様として現れたりとか、変なことはいろいろあるのだが、患者がみんなゾンビになって踊りだすとか、時間の扉がぱっくり開いて太古のなにかが溢れだすとか、おお昔に何々(戦場、墓場、処刑場、学校、病院、などなど)だった場所であるが故に起こってもおかしくない何かが(期待した通りに)起こる、ようなことにはならない。

それはそういうのにぜんぜん動じないふうのおばさんたちがいるので諦めちゃっているのか、眠りの向こう側で何が起ころうが(それで起きあがれないのなら)知ったこっちゃない、であるのか、いろんなことが想定できるのであるが、「ブンミおじさんの森」のように見るからに変なのが現れること(画面を見ている限り)はなくて、これはお墓のお話しなので地の底でなにか起こっているのかも知れないが、でもそれが「光の墓」なのだとしたらこの世はまっ暗闇であってもおかしくないのに、そうなってはいないのだからそもそも何かが狂ってしまっているのだと思う。

そういう、そもそも何かが狂っていることを前景に置いたり背景に置いたり、それによって影響を受けていたりいなかったりするなにかが遍在している、それでも世界は一部の箍が外れた状態を保ちつつおおわくでは保たれている - 誰によって、とか、なんのために、とか、あのときこうしていたら、とかは置いておいて - ていうのがアピチャッポンなんだねえ、と思った。 
そこに「神様」(多分に、アジアの)を持ちこむのはよいのかわるいのか、とか。

なんとなく、『セリーヌとジュリーは舟でゆく』のおばさんふたり、アジアバージョン、のようなかんじもした。あの映画はどうしようもなくパリ、だと思うが、こっちはどうしようもなくアジア、だよね。

ふつうのストーリーテリングのおもしろさとはちがうおもしろさがあって、そこに中毒性があるのもわかって、たぶんもうじゅうぶんやられているのだが、これってなんなのだろうか、ていうところが既に。

あんなふうに眠り続けたいな。
たまに起きて、戦争をしているのです、とかいってまたひたすら寝るの。

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