2.09.2016

[film] Timbuktu (2014)

24日の日曜日の昼、渋谷で見ました。終っちゃいそうだったし。
「禁じられた歌声」

冒頭、砂の上を走って逃げるバンビを車が追い回して、銃で撃ったりしていて、お願いやめて、て思っていると「撃ち殺さなくていい、走って疲れさせるんだ」とか車の男たちが言うの。この冒頭がすべてを象徴している。

マリ共和国の古都ティンブクトゥに銃を携えジハードを唱える過激派の兵士達が現れてあれこれ不条理な弾圧を始める。 女性は靴下と手袋を身につけろ、音楽もダンスも禁止、サッカーもだめ、モスクに銃を運びこみ、見初めた娘に強引に結婚を申し込んで、従わなければ逮捕、ていう。

父と母と娘、孤児の牛飼いの子の4人で幸せに暮らしていた一家の牛が湖の漁場を荒らした、といって漁師に殺され、それはないだろ、と文句を言いにいった父親と漁師がもみ合いになり、父親の懐に念のために入れていた銃が暴発して漁師は死んじゃって、父親は兵に連れ去られて拘束され、話しの通じない裁判と彼らのいう「法」のもとで裁かれて、死刑ということになる。ノー慈悲。

彼らのいうアッラー、彼らのいう法とティンブクトゥの住民を律してきたそれらとの間には同じイスラムでも明確な溝とギャップがあって、そのギャップそのものについての対話は一切為されず許されず - なぜなら神も法も問答無用の絶対だから - というしょうもない、取りつく島もない状況や局面が描かれる。
それは数が多くて武器を持っている方が強いに決まっていて、一方的な逮捕・拘束だの拷問だのを呼びこんで、もちろん住民も黙ってはいなくて、手袋して魚売れるわけねーだろバカ、とか、なんであんたみたいな知らねーやろうと結婚しなんなきゃいけないんだ、とか、或は狂ったようになってうろつく、とか、こっそり歌う、とか。
(肩にでっかい雄鶏をのっけて衣服を引きずりゆらーって歩いたり舞ったりする狂ったような女性、すばらしい)

ものすごく残酷で息苦しい、絶望的な世界がどっしり、というほどでもなく、この不可思議で不寛容で目詰まりした世界をなんとか走り抜けたりすり抜けたり笑いとばしたり、それぞれのふつーの生活とかポエジーみたいなところまで踏み込んで描こうとしていて、そんなことしてなんになるの? ていう醒めた目や冷笑をも取り込んで、それがなにか? ていう、そこまでの覚悟をもっていて、でも最後はやっぱりきついのだが、でも。

目をそらしてはならぬ、ていうのと、なぜならこれはティンブクトゥだけの、今だけの話しではぜんぜんないのだから、ていうのと。 最初のほうで描かれる幸せだったころの家族の、ほんとうに幸せそうで素敵な笑顔を忘れてはいけないのだ、と。 
見終わって残るのはそっちのほうだった。

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