2.28.2016

[film] Kyoto, My Mother's Place (1991)

16日の火曜日、だるすぎたので会社休んで、最初はおとなしく寝ていたのだが、なんか散歩でもするかと思って、気がついたらシネマヴェーラにいて、『フィクションとドキュメンタリーのボーダーを超えて』ていう特集から1本を。 1本だけ。 50分だし、いいかって。

大島渚本人のナレーション・出演で、亡き母のポートレートから入って彼女の暮らした京都、自分が生まれて育った京都という場所、日本を代表する観光都市でもある古都について、自身も現地を歩きながら紹介していく。 自分の母はどんなひとだったのか - 明るくて控えめで典型的な京女 - その人はどんな家で育ったのか - 京町家 - うなぎの寝床 - どうしてそんな家の構造になっていたのか、というあたりから京都というにっぽんの歴史から見ても特異な都の成り立ちや容貌、そこに長く横たわって人々を縛るなにか、なども含めて明らかにし、それは母だけでなく自分の生、自分の家族にも明らかに影響を及ぼしていて、更にそれは自分だけのことではなく現代の京都とそこに暮らす人たちにとってもそうなのだ、と。
そう、だから京都はこんなふうなんですよ、と。  BCCの依頼で製作されたフィルム、だそう。

My Mother’s Place。 “Land”でも”City”でも”Town”でもなく、”Place”という言い方。
Kyotoという場所、容れ物 -  その土地を崇めてこんなにもすごいんだから、て自慢するのではなく、世界のどこの誰にだってMy Mother’s Place はあり、My Father’s Placeはあるよね、という。

それにしても、母、自分、自分史、家族史とそれが成長したり展開していったりした土地、町の紹介、これをたったの50分間に詰めこんでしまうなんてすごすぎる。 「失われた時を求めて」から恋愛のパートをとっぱらって - そんなのありえないけど - 思いっきり煮詰めて縮めたらこんなふうになるのかもしれない。

この週末に京橋でみた『古都憂愁 姉いもうと』(1967) と併映するととってもよいかも、と思った。


このあと、渋谷から新宿に移動して文化学園服飾博物館で終っちゃいそうだった展示をみました。

「魔除け -身にまとう祈るこころ-」

世界じゅうのいろんな民族は、それぞれの長い歴史とか風土とか慣習とかを通して、それぞれはなにを魔とか邪とかよくないものとして見て、それを避けたりそこから自分たちを守るためにどんなふうに服飾の色や形や道具をつくり、継承してきたりしたのか。

さっきの”Kyoto, My Mother's Place”が都市、町の魔除け仕様(風水とか)の紹介のようなところもあったので、ああ繋がったかも、とかおもった。

展示数はそんなに多くなかったが、国や民族ごとにあたりまえのように違っていておもしろかった。
とくに、何を危険な魔のものとして捉えるか、何をどんなときにどう守りたいのか、ていう角度で見て行くとなるほどねー、と。 これらをたんじゅんに「ダイバーシティ」とか言って頷こうもんならあっというまに祟られちゃうからね。しらないからね。

日本だと、ねんねこ半纏、とか、いぬばこ、とか、縫い終わりの糸、とか、背守り、とか、こぎん、とか。 ひし形とか龍とか虎とか。 背中を守るんだねえ。

台湾のタイヤル族の赤とか百歩蛇とか。アンチモニーのゴス化粧とか。黒い馬とか山羊の毛とか。
パンクとかゴスのファッションて魔除けなのね、たぶん。て思った。

北欧の魔除けがなかったのはなんでか。 いらないから?  ブラックメタルは根が違うってことか?

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