2.02.2016

[film] 千姫御殿 (1960)

土曜日の午後の京橋、「編笠権八」のあとに続けてみました。
「編笠の権八」のあとに「千姫の御殿」。 それがどうした。

千姫っていうのは家康の娘で歴史上ゆうめいでかわいそうなたらいまわし姫のことね。

吉田御殿にお籠りしている千姫(山本富士子)のところに大工の若者が呼ばれてマッサージしてあげたらそいつが翌朝田んぼにぷかーて浮かんで、それから若侍とか、舞いの名手とかみんな千姫の虜になって仲良くなったと思ったら翌朝ぷかー、てなるので千姫のとこに行くとやばいってみんな思い始めたころ、隠密として内部を探るべく田原喜八郎(本郷功次郎)が千姫に近づいたり、実彼の仇を討つべく屋敷に潜入していた大工の許嫁おかつ(中村玉緒)が千姫に詰め寄ったりして、御殿をめぐるいろんな厚塗りごてごてが明らかになってくる。

なんもしらない千姫の周りが実は相当血なまぐさい、風評とかも炎上しまくりでぼろかすなのだが、それなのに、というか、であるが故に彼女はひとり無垢で美しくて、噂を聞きつけてやってきた男たちもころころばたばた虫のようにやられる、ていう、典型的なファム・ファタールの循環ができあがっていて、その歯車を裏でからから回しているのがやたら不気味でおっかない山田五十鈴なの。

でもそんななか切り札のようなかんじで田原喜八郎が現れて、御殿から遠くに馬で逃げていって、豪雨のなか洞窟でふたりが結ばれるとこはとても美しいのだが、それでもやっぱり。それはやっぱり。

千姫にしてみれば、①自分の知らないところで妖婦みたいに呼ばれてて実際にひとがいっぱい死んでる ②それをぜんぶ手繰っていたのは自分の側近の如月(山田五十鈴)だった ③最後の王子さまとして現れた本郷ですら実は隠密だった。 ていう空から金だらい3連発をくらってへろへろになったところで、もう一回どっかに嫁にいくか、嫌なら出家ね、あ、そうそう喜八郎は切腹だから、とか言われて、もうほんとに残酷でかわいそうで、これじゃ死んだも同然よね、とか思ったところで最後の最後に、ほんとうに美しいなにかが現れて少し救われる。  あそこで純な魂みたいのが顕わになる。

喜八郎が死んじゃうのと喜八郎が生きているのとあの後の千姫にとってはどっちが地獄だろう? とか考えるのは野暮というもの。

「近松物語」にしても「残菊物語」にしてもこれにしても、つくづくキリスト教でいう神はここにはいないんだなあ、とかおもう。
どうしようもなく残酷で救いようもない恩寵もないのだが、それでもなんか美しいものはある、ていおう。

画面の切りかたとか姫と御殿との距離のとりかたとか、日本美術だねえ、とうっとりしながら見ていた。 こういうのを紹介すべきよね。 世界に。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。