2.13.2016

[film] Saute ma ville (1968)

これを書いているひとの傾向として、ライブとか移動とか生もの系は割と早めに書いてしまう(忘れちゃうんだよかわいそうに)のだが映画とかは見た後もだらだら置いておく(忙しいんだよたぶん)ていうのがあって、でもこのたびのChantal Akerman特集はなんでかはっきりとライブ系のノリがあって、見たらすぐ書かなきゃ書きたいな、になっている。
なんでかしら? と思っていた辺りが金曜日の映画みてレクチャーを聞いてなんか一気にわかった気がした。

というわけで12日の金曜は、この特集のヤマで必見のだったのだが、お仕事の会議が降り積もってこびりついてどうしようもなくなっていたので午後休んだ。
しょうがない。 わるいのは会議だ。

Les ministères de l'art (1989)
17時から「芸術省」。フィリップ・ガレルが監督したやつでシャンタルがでてくる。
字幕も同時通訳もなく、プリントが配布されただけだったのでちんぷんかんぷんだった。けどいいの。
もともとTV用に撮られたものらしいが、ガレルがシャンタルを含む当時のフランス映画人にインタビューしていく。絵としては16mmのざらっとしたかんじがガレルでうれしかったのと、どうやってああなったんだかいっつも謎のガレルのもしゃもしゃ鳥の巣あたまと、最後のほうで登場するひねた僧侶みたいな格好でガニ股ですたすた歩いていくレオス・カラックスがたまんなかった。


Saute ma ville (1968)
『街をぶっ飛ばせ』。 英語題は、”Blow Up My Town” 13分。

今さら言うな恥ずかしい、と怒られても仕方ないのだが、そうかこういうのがあったのか、と思いしらされた彼女のデビュー作。 モノクロで、出てくるのは彼女ひとり、流れるのは彼女のてきとーなハミングのみ、モノローグもなし。花束を抱えて自分の部屋に駆けあがり、掃除してタバコ吸ってパスタ茹でて食べて片付けて猫と遊んで猫放り投げて靴をみがいて自分もみがいて、要するに独り身の女子が帰宅してからやりそうな(とみんなが思っていそうなこと)を鼻歌つきのやけくそでばたばたやっつけながら窓枠に目貼りしてコンロのガス全開にしてどっかーん。 画面はまっくらなのでエンドロールもなくて、クレジットを読みあげる彼女の声でおわる。

これをバーレスク的な動き(と後のレクチャーでは言っていた)で一気呵成にやってしまうのだが、ここにあるのはバーレスクていうよかはっきりとパンクの刹那と性急さだよね。 絶望と不満と衝動を死ぬほど抱えて表に出てきたんだ、これがわたしで、最初っからぶっ飛んでるんだからね、ていう宣言。

Le 15/8 (1973)
『8 月15日』 42分。

1973年8月15日。 これも女子ひとり、室内でのいろんな生活の動きにたどたどしい英語でのモノローグ(画面はフランス語字幕)が被さる。画面に出てくるのはシャンタルではなくフィンランドからバリに来ている留学生で、部屋にいるのが好きなの、とか街角でいきなり腕を掴まれてこわかった、とかたわいないことを延々ツイートしているかんじなのだが、パンを齧るとこ、ジャムを舐めるとこ、タバコを吸うとこ、などなどには"News from Home"と同様、母国語の通じない場所に、どこかからなにかを越えてやってきてしまった女性の、なにかから切り離されてある引きつったような引き摺られるような感覚があって、それはベルギーのユダヤ人 - 強制収容所の生き残りの娘として生まれ、辛い時代を過ごした彼女にずっとあった感覚、のように後のレクチャーでは説明されていたが、それだけかなあ。

でもとにかく、映画が終るころには彼女のことがとても好きになっているの。

J'ai faim, j'ai froid (1984)
『おなかすいた、寒い』。英語題は、”I'm Hungry, I'm Cold”.   12分。

ものすごくパーフェクトな80年代若者映画。
『街をぶっ飛ばせ』同様、こんなのも知らないで彼女を追悼していたのかばかばかばかばか(x4)恥しらず、と頭を壁に打ちつけてしまったくらいおみごと。
すらっとしたのとずんぐりしたのの女の子ふたり、一緒に家出してみたもののお金はあんまなくて「おなかすいた、寒い」くらいしか言うことなくて、お店に入って食べてタバコ吸って喰い逃げして、いくらやっても「おなかすいた、寒い」で、やがてどうしようもなくなってレストランに入ってやけくそでふたり合唱してみたら奢ってくれるおじさんたちがいて、夜もそのおじさんのおうちに泊めてもらうことにして、すらっとしたほうはちょっとした隙に服を脱ぐみたいに処女をすてて(いてー! って一瞬いうだけ)、さていくか! って街に飛びだしていくの。 めちゃくちゃかっこいいー。

(また後で書くけど、今日みた『ブリュッセル、60年代後半の少女のポートレート』、これがまたとんでもなくてさー)

上映後のニコラ・エリオット氏によるレクチャーは、すばらしく充実していて、これ聞いたら彼女の作品ぜんぶ見たくなる。
デビュー作に見られる彼女特有のテーマや痛みがその後の作品 - 代表作と言われる『ジャンヌ・ディエルマン』はもちろん、最後の作品まで通底していることを例示しつつ、その特性を”Intimacy”と”他者性”と”共感”の3点から説明していった。

これにもういっこ加えるとしたら倫理性 - 正しさへの指向、ていうのもあったのではないか。
それって3つの特性の帰結として現れてくるものかも知れないが、ちゃんとしたパンクがそうであるように、常に正しいなにかを指し示していたのだとおもう。(→ひとりも悪人は出てこない)

トークの最後におまけ映像として少しだけ上映された”The Eighties” (1983) - “The Golden Eighties” のリハーサル歌入れで、カメラに背を向けて腕をぶんぶん熱狂的に振り回して一緒に歌いまくる彼女の姿を見て、とってもたまんなくなった。

(Lena Dunhamさんの名が浮かんでしまったのは自分だけだろうか)

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