2.15.2016

[film] De l'autre côté (2002)

14日の日曜日の昼、あたりまえのように「シャンタル・アケルマン」に向かいました。
ドキュメンタリー「向こう側から」。英語題は”From the Other Side”。

ここでの"the Other Side"というのはメキシコのことで、アメリカとメキシコの国境のはなし、と言ってしまえばそれだけなのだが、そういうことではなくて、向こう側とこちら側を隔てているものはなんなのか - 単に物理的な壁であったり越境を取り締まる警備隊だったり - だけではない向こう側にうずくまったり佇んだりしているなにかを見つけようとする。

メキシコから不法入国しようとした人の数、成功数、失敗数、逮捕された人の数、亡くなった人の数、行方不明となった人の数、両国間の経済格差、不法入国がもたらす経済的インパクト、同対策のために必要とされるインフラ、法整備などなどなど、数値化を含めてこの問題をおもてにひっぱりあげて議論のベースを作る、みたいなことはここではしない。そんなの誰だってできる。

向こう側に渡ろうとした家族が消えてしまったおばあさん、とか個々の声を記録していく。 インタビュー、対話という程深いものではなくて、祖父母の代にスペインからやってきて結婚相手もスペインから来た人で、移民としての血と誇りと、他方で今はなんでこんな ... みたいな話しが続く。 自分の意思で、自分のリスクと責任で向こう側に渡る、それのどこがいけないのかしら、でも、それにしてもなんでこうもしんどいのかしら? という疑問符に砂ぼうぼうで荒涼としたメキシコ側の荒地と、そこに張られたでっかいフェンス、その周りを幽霊みたいに漂う人々の姿(→ アピチャッポン?)をカメラは映し出す。 そこまでしなきゃいけないことなのか、誰がなんのために?

後半は、アメリカ側で国境の近くに暮らす人々、守る人たちの声になって、自分たちはいいけど子供たちは守らないといけない、とか、でも国境を守る当事者としての力強い発言はあまりなくて、ただ、今の状態がよいものとは言えない、という見解についてはどちらもあまり変わらない。

なんか、不法な国境越えは許されない、なぜならそれは不法だからだ、という不毛な堂々巡りのなか、フェンスはどこまでも延びて強くなって、これからもドローンだのセンサーだので更に摘発の前線は強化されていくのだろうが、本質的な議論 - そもそもなんのために、だれのためにこんなことやってるの? が置き去りになっているような気がものすごくする。 このフィルムが製作されたのが2002年という、911の直後だったことを差っぴいても、いまのこの時代に東西ドイツみたいな壁を作ることの意味を考えてしまうの。

そういうなかで、彼女の語り手に対する接し方、話の引きだし方はIntimateとしか言いようがなく、どこまでも弱いほうに寄り添おうとしているのと、最後、LAに向かう夜のハイウェイの車中からのカメラに被さって彼女の声(おそらく)がフランス語で、身近にいたメキシコ人の使用人の女性が突然いなくなってしまったことを語る。 
ちょっと不安げに、さみしそうに。

ねえ、それがどういうことだかわかる? って。

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