11.27.2015

[music] Shellac

25日の水曜日の晩、代官山でついに。

こういうののライブに会社帰りのスーツでいくのなんてありえないので、ちゃんと一旦家に戻って着替えていると小屋につくのは19:30になってしまうのはしょうがない。 もうあきらめてる。 ほんとばかみたいだけど。

入ったときはMONOがまだやってて、聴いたのは何年ぶりか、前のときはExplosions in the Sky と一緒だったんだっけ?
最後の曲の、ふたつの力がごりごり押したり引いたりしているかんじがちょっとすてきだった。


Shellacはこれまでなんでか見る機会がなかった。

Bob WestonさんはMission of Burmaのライブとかだと必ずコンソールに座っているし、Steve AlbiniさんはNew Yorker Fesのトークとかで(おしゃべりを)見たりしているのだが、バンドとして見るのははじめて。 

ライブではこうなるだろうな、と想像していたそのままの音が、アンプを通してダイレクトにびりびりやってくる。 そしてそれがどれだけすごい肌理のやつか、甘美で官能的なことかを思い知る、そんなすばらしい時間でした。 ライブってライブなんだねえ、と。

腕が振り下ろされ腰が揺らされ指が動いてその指が弦を擦って撫でて弾いて引っ掻いて(時には噛みついて)、そこで発生した摩擦音、打突音、擦過音、唸り声、喘ぎ声、呻き声などなどの音がマイクロフォンとケーブルを伝ってアンプに流れ込み、アンプの回路を経由して増幅されたその音は再びケーブルを伝ってスピーカーの膜をびりびりと震わせ、その振動が空気を伝って同じように我々の鼓膜を震わせて、その震えとか律動がわれわれをとっても、ものすごく興奮させる。

ライブというのは単なる音源の再生とは異なる、これだけフィジカルな工程を経て現れるアートで、このバンドのライブでは、このフィジカルな作業工程がぜんぶ、隅から隅まで、機材のセッティングからお片付けまで、ケーブルを走り抜ける電気信号まで(見えないけどね、見えるんだよ)徹底的にアナログで可視化されていて、そこで見たままの音の姿がそのままに耳の穴にぐりぐり入り込んでくる。 ライブで目が向かいがちな轟音とか激しく性急なアクションとかとは別の次元のおはなし、それらはどちらかというと抑え目、それ故に際立つさざ波の快楽。

こんなふうにこのひとたちのライブを形容しようとするとセックスそのもののようになっていって、だからとっても官能的でエロくて気持ちよくて、肉体運動の官能に溢れていて、そう思い始めるとAlbiniさんの腰巻ギターも頻繁のメガネふきふきも、なんかやーらしいのよね。
断然褒めているんですけど。

一週間の間にMelvinsを見れてShellacまで見れてしまう至福。 今年はこれでもう幸せはこないんだわ。 たぶん。

Albiniさんがシカゴで一番おいしいと言っていたのは、たぶんここね。 おじさんたらこんなねちっこいのを...

http://chicago.eater.com/2015/3/4/8150539/usa-today-ricobenes-breaded-steak-sandwich-is-the-nations-best

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