11.17.2013

[film] Van Gogh (1991)

10日の日曜日、イメージ・フォーラムのモーリス・ピアラ特集で見ました。

冒頭、画布の上をさーっと横切る青のブラシが素敵で、それは「荒れ模様の空の麦畑」- "Wheat field under a stormy sky" の青い空で、荒れ模様の空なのにあんなに鮮やかに澄んだ青 - ゴッホにはそういうふうに見えていた世界のお話である、と。

アルルの日々も過ぎ、サン=レミの精神病院も退院したあと、37歳のゴッホが最後の2ヶ月を過ごしたオヴェール=シュル=オワーズでの日々を描く。 出来事も登場人物も史実のだいたいには合っている、ふう。

村の飲み屋兼宿屋に滞在し、風景や身辺の絵を描きながらガシェ医師宅に通い、娘のマルグリットと仲良くなり、娼婦のカティとか弟テオの家族とか昔からの付き合いも続いている。
病院から出たばかりの不安定な様子が露わに画面を揺らすようなところもなく、一見ふつうの職業画家として日々は淡々と過ぎていく。 かに見える。

けど、彼が画布に向かう風景、彼が窓越しに対象(マルグリット)をじっと見つめる姿と、彼の背中の向こうに広がる野原や畑を遠くから捉えるカメラ(いいんだねえ)の確かさに対して、彼を中心とした人々との会話ややりとりは酒場の喧噪、窓の向こうを通過する汽車とか馬車とかのがたごとで中断されて中途半端なところに留まり、やりきれないかんじが残る。常に。 

その対照のなかに曝されていた彼のシーソーゲームが終盤、弟テオの住むパリに出かけたところでぷつんと糸の切れた凧になり、どんちゃん騒ぎを経てそのままオヴェールに朝帰りしたあと、朝帰り後の目が眩んだ状態のままにくらった(誰から?)よくわからない銃創がもとでころん、と死んでしまう。

その死によってオーヴェルの、パリの世界が閉じてしまうわけではなくて、これまでと同じように世界は流れていく、その流れのなかに冒頭の「荒れ模様の空の麦畑」の青を、左から右に滑っていくブラシを置いてみる、と。

壁に向かいあい丸まった状態で硬くなってしんじゃったゴッホ。
これだけではなく、ゴッホを演じるJacques Dutroncの佇まいの背丈、立ち姿、目つき口もと、肩、その存在の硬さと強さがすばらしく、実在のゴッホがどうであったにせよ、彼を間違いなくひとりの、たったひとりでぐるぐるの世界と対峙していたゴッホたらしめている。

このひと、"Moonrise Kingdom"で家出した女の子が抱えてきたFrançoise Hardyのレコード、"Le temps de l'amour"を作ったひとだったのね。 家出物語である"Moonrise Kingdom"が永遠の家出人ゴッホとこんなふうに繋がったのは、ただの偶然にせよ、なんかよいねえ。

もうひとつはマルグリットを演じたAlexandra Londonで、彼女のなんともいえない柔らかさ、ふくれっつらでゴッホにぶつかるさまが素敵で、白のドレスで出てきて黒のドレスで終わる。
ゴッホの死、ではなく彼女の活きた強い目で終わる、そういう映画でもあるの。

テオの家にあった「花咲くアーモンドの木の枝」の前でピアノを弾いたのは誰だったのかしらん?

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