4.27.2013

[film] Zero Dark Thirty (2012)

22日の月曜日から会社に通い始め、なんとか5日間続けられたのだが、ぜんぜん咳が止まってくれない。
咳の発作がこわいので映画にもどこにも行けず、更に日中はマスクしているので半酸欠でぼーっとしていて、その状態で仕事がどかどか降ってくるのでずっと泣きそうだった。

というわけで、米国行く前に見ててまだ書いてなかったやつをぼちぼち。


3/30の土曜日の夕方、日比谷で見ました。
これはなんか書くのが難しいなあ、と思ってそれはなんでだろう、と。

Based on the true event であることは誰もがわかっていて、911のテロ以降、首謀者の居場所を探してじりじりじたばたしているCIAの人たちの取組と戦いを追っていて、ほんとは捕まらない状態のまま撮り終えようとしていたらその直前に実際に捕物が発生してしまったのでシナリオを一部変更した、とか、CIA長官が映画の描写についてわざわざ不快感を示した、とかいろいろ聞こえてくるところからすると、つまりこれは本当にあったことに本当に近いのだな、と。

最後は首謀者の隠れ家をつきとめてそいつを暗殺して終結するのだが、映画の中心はCIAに勤めるひとりの女性が拷問や聞き込みや張り込みや膨大な情報の海のなかからたったひとりの男の居場所を探し出そうとする、そのお仕事そのものであるように思われる。
仕事は楽じゃない。 見たくもない拷問を見せられ、アメリカを憎んでいる人々の間を疑って探ってうろうろし、自身の命を危険にさらし、それでも辿りつける保証はない。
それでも主人公は、不機嫌な顔を隠さずしつこく地道に「仕事」をこなしていって、最後にようやく獲物に到達する。

前作の"The Hurt Locker"もそういう異常な状況下での異常なお仕事、を追った映画だった。
そこで描かれるのは主人公の果敢さ孤高さ、というよりは異常なお仕事の連続でなにかの箍が外れている男の、なんともいえない佇まい、その気持ちの悪いかんじだった。
危険な戦場で危険なところに首をつっこんでお仕事をこなす主人公の、その内面を見せない描きかたが、よかった、というと変だけど、その不気味さ異常さをそのままほれ、と提示するそのやりかたがなんかよかったの。

この映画の主人公の描き方も同じようで、彼女は終始仏頂面で、頭の中と情報を行ったり来たりしながらいろんな人達に指示を出して任務を遂行していく。10年を超える、全世界を股にかけたオペレーションであるのに、そのスケール感はまったくなくて、彼女はたったひとりでずっとオフィスの机に踞っているように見える。 んで、最終的にコトを成し遂げても、その達成感はあまり伝わってこなくて、それは結局のところ、たったひとりの老人を追い詰めて暗殺する、そういうお仕事そのものの異様さ陰惨さに由来しているように思えてならない。 彼女の使命感がどれだけ強いもので、911に対するアメリカの報復という大義があるにせよ、結局のところそれは人殺しという一点に集約される、というところに。(そして、それを遂行したところで世界=アメリカに平和が訪れるわけではないことを誰もがわかっている、というところも) 

戦争の遂行、というのを「お仕事」のレイヤーに分解していったときに明らかになってくる、戦争はそんなみんなの懸命なお仕事(=殺人)を束ねて積み上げたものなのだ、という当たり前の事実が。
んで、仕事ってなんなんだろうねえ、とか自分のも含めて考えてしまうのだった。

で、そういうのって映画のおもしろさとは別のなんかのような気がして、どうしたものかー、と。
映画なら、殺さずに捕まえる、という形にしてもよかったのでは、とか。
彼女の不機嫌にビン・ラディンのアメリカへの憎悪・呪詛を正面からぶつけてみるべきだったのでは、とか。

Leslie Nielsenが生きていたらなあ、"Naked Gun"のシリーズでぜったいにおちょくってくれるのになあ、とか思うのも憚られるような生真面目さがきついのだった、なんか。

あ、あと、CarlosのひとがCIAの犬になっていた。

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