5.13.2012

[film] おかあさん (1952)

そういえば今日はおかあさんの日でした。 と、しらじらしく書いてみる。

金曜日はごご半休とった。 だるいしねむいししょうもないし。

午後が空いた場合の常として、まずてけてけ歩いてそこらの美術館に向かい『KATAGAMI Style 世界が恋した日本のデザイン』、ていうのを見る。
時間が迫っていたので20分勝負でがーっと流す。 最初のほうの日本の型紙はすごくよかったのだが、その後の世界展開のとこはあんまし。 すごいんだぞ! て言いたいのかもしれないが、文化の、とくにこういう文様とかイメージの受容/伝播ってそーんな単純じゃない気がする。 だってケルトの文様とだって似てるとこあるじゃん、とか。(←あんまちゃんと見ないで言ってる)

そこから日仏に移動して、見ました。
成瀬巳喜男の「おかあさん」は、もう4~5回見てて(うち、アメリカで2回)、どんだけ「おかあさん」好きなんだという話なのだが、そんなすごい好きでもないの。 でも、無料だし、日仏でトリュフォーとの2本立てで見る機会なんてそうないだろうから、見てみようか、と。
そもそも、ぜんぜん悪い映画じゃないしね。

当時の子供の綴り方コンクールの作文をベースに、会話も事件も最小限に、長女の読みあげる(語るというより読みあげる)、熱くも冷たくもない素朴な思いが、田中絹代と香川京子のこまこました目くばせとか切り返しに絶妙に絡んで、こちら側でなにかが起こる、向こうからやってくる。

おかあさんはえらい、すばらしい、大切にしないと、ということを切々と訴えるというよりは、おかあさんは大切である、という揺るぎない事実を父の死、長男の死、妹との別れ、などを通して、箒で部屋を掃き出すおかあさんの丸い背中の、そのやさしい丸さでもって示す。

ずるいよなー、と思いつつ、今回もやられてしまうのだった。

あと、香川京子に近づきたい平井パン屋のせがれ、岡田英次。 ピカソパンとかあんなの作るセンスがなあ、ぜったいもてないよ君。

この映画がなんでこの機会に上映されたのかというと、日仏が創設された60年前に公開された日本映画だからだそうで、しかし、あんなまだ荒れた野原が点々としてた頃(でも映画館はあったよ)に立ち上がったのかー、それはなんかすごいことだねえ、と思った。

映画のなかで、てっちゃんが「天ぷらそばを食べよう〜」と言っていたのがこびりついてしまい、次の映画までの間、天ぷらそばを食べることしか頭になかった。


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