10.01.2023

[film] Stop Making Sense (1985)

9月27日、水曜日の晩(20:45の回)、英国でいちばんでっかいスクリーン(宣伝文句)のBFI IMAXで見ました。
お仕事とのあれでいうと、この晩はもう既に先約が入っていることにしておいた。それでもなんか言ってくるようだったら具合が(を)わるくして…

久々に訪れたBFI IMAX。始まる前にBen & Jerry'sのアイスクリームを食べようとしたらもう閉まっていてしょんぼりした。ロックダウンを経て少しだけリノベしたっぽい。

A24がクリーニングして4Kリマスターしたあとで、David Byrneがあのでかジャケットをクリーニング屋に取りにいったやつで、もう何度も見てきた1本なので、どうせ見るならIMAXのしかあるまい、と思っていたらちょうどやっていた。この週末からは”The Creator”が大々的に始まってしまうので見るならこのタイミングしかない。

上映前の予告は、BFI Southbankの方でやっている小津安二郎生誕120周年記念特集の – うまく繋いでてなかなかおもしろ - と、エヴァンゲリオン(いつのどのバージョンかはしらぬ)ので、こんな夜遅くに見に来ている年寄りたちの反応は「ははは..」くらい。もう少しちゃんと流すの選べばよいのに。

でっかい音とでっかい画面であの世界 - としか言いようのないあれ、がやってくる。音楽を演奏しているライブを撮影したライブフィルムであることはわかっているのだが、バンドの像を見るのでも個々の曲にひたるわけでもない。最初からじゃーん/がーんと、どうだ! ってくるのではなく、ステージに現れた時点で目がどこか別の世界を彷徨ってて決して笑わない愛想よくない、画面とともに巨大化したDavid Byrneがラジカセとギターいっぽんでじゃかじゃかやりだす、なにひとつお呼びでない異物感がこちら側をじわじわと浸食してきて、なんで自分はここにいるのか? ここにいるべきではないのに! ここってなんだ? ってひとちパニックし始めているその後ろに、ひとりまたひとりと呼んでもいないのに奏者が増えて勝手に音が重ねられてバンドらしきうねりが生まれ、背後のセットも勝手に組みあがっていく。もはやTalking Headsというバンド? ですらない - Tom Tom Clubの曲だってやるし - どこの誰から誰までがメンバーとかどうだってよいしお囃子の音には一切関係ないし - そんな巨大な空虚のまんなかにいるDavid Byrne、その背後にできあがってしまう世界のありようそのものが、そのぜんぶが、”Stop Making Sense” - もう降参しろあきらめろ、ってわんわん言い続けてくるので、あのちゃかちゃかどかすか(たまに)ぴーひゃら - 耳鳴りのようにずっと鳴り続けているリズムにどう対処すべきなのか? だれか教えて! のような不条理の城を抜けて最後まで走っていく。 こうして最後は誰もが踊るしかなくなるのだがその手前というか背後にはこれだけの問いなどが投げられていた、というのを知っていた方がよいのかどうか。これが出た当時にはなんでNYの片隅でがしゃがしゃぎこちない音を鳴らしていた彼らがこんな分厚いポリポリの音をやりだしたのか、こんなのやる必要があるのかの議論がなされたものだったが、いまだとなんかわかるわ。

思えば”American Utopia” (2020)もいま立っている場所や前提をぜんぶ初期化した上に意味がある/ないの境界とか文化的コンテキストの要素や要不要を散らして、そんな場所から音楽やダンスはなにでありうるのか? を問いていたような。それらはすべて正義や倫理のあり姿を、その拠って立つところから問い返そうとしていたような。

とにかくIMAXだと音がぶ厚くてバンドがフル編成になるとあちこちから虫みたいにいろんな音がわんわん跳ねたりぶつかったり、それがたまんないし気持ちよいし。でも、気持ちよいからなんでもいいじゃん、にはしたくないの。これらの音については。

客席のほうもステージと同様に盛りあがっていって普通に勝手にわーわー歌ったり拍手したりしていた。おかしかったのはライブのように席たってトイレに行ったりする人がいっぱいいたこと。ただのトイレだったのかどうか?


9月も行ってしまったが、続けて週末も行ってしまうようー。

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