10.20.2023

[film] The Equalizer 3 (2023)

10月8日、日曜日のごご、Tohoシネマズ日比谷で見ました。
遅れを取り戻すシリーズ。クマ →リチャード三世 → デンゼルという必殺・悶死の流れ。邦題は『イコライザー THE FINAL』?

監督は前2作と同様Antoine Fuqua。もはやキャラクターの説明なんて、なんもいらない。ちりちりした電磁波のような音の波と画面のアブストラクトな暗さが導くところに自動で導いてくれる。

イタリアのシシリーで、ワイナリーの主人Lorenzo Vitaleとその孫が車で自宅のワイナリーに戻る途中、家の近所まで来ると彼は異変を察知したのか孫を車に残してひっそり静かな屋敷に入ると、ホラー/スプラッターで食い散らかされたようにいろんなポーズや表情の死体が転がっているのが見え、来たな、って思うとやっぱりRobert McCall (Denzel Washington)が現れてあっという間にぐさぐさって片付けられてしまう。

で、外に出てきた孫を見かけて、彼には手を出さず車に乗ろうとしたら後ろからこいつに撃たれて(孫はそのまま消える)、こいつは痛いな、って顔をしてから持っていた銃で自殺しようとするのだが弾が切れていたのでついてない、と横になり – 暗転 - 次のシーンでは本土にたどり着いた車から降りて – 暗転 - ベッドで医者に診てもらっている。なんとか助かったらしい。

ここまででRobert McCallとは何者なのか、彼はよき者なのか悪い者なのか – この問いは後で反復されて効いてくる – が一切わからないのだが、この後、医者に助けられた彼がリハビリをしながら階下のカフェでお茶(コーヒーにしなさいよ、って言われる)を飲んだり、通りの魚屋と仲良くなったりしていくシーンを見ていくと、もうああいうことから足を洗った/洗おうとしている過去を捨てた人のように見える。でも魚屋が地元のあんちゃんぽい不良から虐められているのを横目で見て、やがて明らかに放火で焼けだされてしまって嘆き悲しむのを見ているうちに、その不良に小声で静かにやめといたほうが… と言ってうるせーんだよおっさん、てなった後の。🔪

と、冒頭のワイナリーでの殺戮の件の背景や実情が明らかになっていって、やがてCIAのエージェントCollins (Dakota Fanning)のところに匿名の電話が何度もかかって、この件についての指示、とは言わないまでも、ここはこうだからここを当たった方が、のようなことを言われると、”Why Me?” って彼女は返す。あんたは誰? なんであんたはこの番号を?

ここまで - 今回のヤマの全貌が見渡せるようになるまで & 小さな町のちんぴらが山の小ボスに焚きつけられて街角に煮あがってくるまで - が、McCallが町の狭く急な階段を自力でどうにか上れるくらいに回復していくゆったりとしたペースに同期しているかのようですばらしく、しかもそれはいきなり沸騰するのではなく臨界点もなにもなさそうに赤子の手をひねるかのように気がつけば手元で炸裂して相手を魚のように殺してしまうので震えるしかない。病みあがり、というかあんな重症を負った直後なのになんで? 彼はEqualizer – 平らにするひと - だから、という平熱ぺったんこの不気味さとじわじわくる恐怖と。

冒頭のところを除けば、過去に西部劇などで描かれてきた平民を虐めるならず者たちをどこからか現れた流れ者が懲らしめて去っていく構図のそれなのだが、McCallの静けさと不穏さ、総体のやばいかんじは子供だったら我慢できなくて泣きだす(シンプルに怖い)。自分が見たなかだと”Pale Rider” (1985)なんかに近いかも。 ただMcCallの場合は、その土地から去らずにおそらくそこに残る。でもここから先はわかんないよね。あんな素敵な隠し本棚があったアパートを去ってしまったのだから、とか。

でもここに残ったとしても相手はシチリアのマフィアだからそれなりにしぶといはずだし、Denzel WashingtonとDakota Fanningのふたりが約20年前のメキシコでどんなだったかを知っている我々としては、Dakota Fanningを抱きあげて救出するDenzel Washingtonの姿をもういっかい見ないわけにはいかないの。だから”The Final” なんてのはカケラも信じなくてよいのだと思った。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。