8.12.2023

[theatre] Groundhog Day

8月9日、水曜日の晩、Old Vicで見ました。昔から大好きなシアター。

出張している間、ずっと晩は押さえられてどこかに連れていかれて会食というのか飲み会というのかの慣例、みたいなのはいいかげん勘弁(お酒のめんしもう何十年もおんなじようなのばっかし)なのだが、ひとりで映画をみたりライブに行ったりしたいのです、なんて言うこともできず、せめてひと晩だけは好きにさせてください(とは言わず、昔の友人に会うのでーとか適当)、って逃げる。ひと晩くらいなら。

はじめはRoyal Albert Hallでやっている夏のBBC Promの夜遅い方(22時くらい)の回でやるヴォーカルグループのでも見にいこうと思っていたのだが、なんかこちらの方が気になって、チケットを取ってしまった。

元はBill Murray主演の同名の王道ラブコメ (1993)だが、こちらはミュージカルで7年前に上演されたもののリバイバルでもあるのだそう。えんえん止まない日々の繰り返しムーブのなかでゆっくりと積もっていく悪意 – それが反転して愛、というか愛が反転させるのか - みたいなのは映画という様式の方が合っている気もしたのだがこちらもなかなかおもしろかった。

脚本は映画版も手掛けたDanny Rubin、音楽はTim Minchin、演出はMatthew Warchus。

ローカル局のベテランお天気キャスターPhil Connors (Andy Karl)はお喋りは当然うまいけど傲慢で自分が世界でいちばんて思いこんでいる誰もが認めるそこらにいそうな嫌なやつで、朝に安い宿屋のベッドで起きて毎年恒例2月2日の”Groundhog Day”でGroundhog – ウッドチャック – でっかいネズミ – のPhilが春が近いのか冬がまだ続くのかを告げる – 正装したおじさんたちがGroundhogを住んでいる小屋というのか箱というのか から引っぱりだしてぼーっとしてる彼になんかを聞きだす – 虐待じゃないの?ってたまに思う - お祭りイベントを中継すべく番組のプロデューサーRita (Tanisha Spring)と現地に赴くのだが、その中継の何が何の呪いになったのか何度寝て起きても繰り返され – いつも同じ2月2日の朝6:00の目覚ましで起きることになってしまう。

この呪われたとしか言いようのないループに閉じこめられた状態を、ブラスバンドとかチアーとか、ミニチュアの中継車を眺めている巨人とか、Groundhogの着ぐるみ?(カワウソみたいだけど)を着たひとがただ立っていたり(こいつは後で生ドラムスを叩く)とか、変な酔っぱらい組とか、田舎の狂騒と不気味な伝説のようななにかの交錯のなかで描いて、人間のPhilはだんだんおかしくなって自殺してみたりもするのだが、何度死んだって目覚めるのは同じベッドの上の同じ時間なのでなんだこれはやめてほしい、になっていくの。

この状態からどうやって抜け出すのか/抜け出せるのか、がテーマのひとつでもあるのだが、そもそもなぜこの状態の、なにがどうしていけないのかについてはあんまよくわかんない。死ぬ心配も老いる心配もないし、記憶はリセットされずに貯まっていくようだからずっと本読んだり映画見たりしていればいいじゃん。(新作は見たり読んだりできないのか)(パンフにはニーチェの永劫回帰とアリストテレスと仏教の教えが紹介されている...)

あと、人に毎朝きちんと挨拶してリスペクトできるよい子になればループから抜けることができますよ、みたいな話でもないしそれだとつまんなすぎるので、周りを歌と踊りで飾りたてて盛りあげて、なんか変だけどまあいいや、みたいなノリで押し切ろうとしているかのようで、ひょっとしたらその強引さを愛と呼ぶのかもしれないねえ.. など意地悪な目でみれば。実際、ラストの紙吹雪が舞い散るフィナーレはなんだこれは? ってなりつつも感動してしまったりして。

真ん中でひとり踏ん張って喋りまくり歌いまくるAndy Karl - 切れ味がちょっとPaul Ruddぽい - がすばらしい。自殺した直後の変わり身の早さとかどうやっているんだろう?

これを日本でリメイクするとしたら、そらじろうとかを出さないわけにはいかなくなるだろう。どうするんだ?

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