8.22.2023

[film] Oppenheimer (2023)

8月17日、到着した翌日木曜日の昼、Village East by Angelikaで見ました。70mmフィルムでの上映。

ものすごく、なにがなんでも見たい、という訳でもなかったのだが、唯一の被爆国だというのにリリースの日が(もう決まっているかも知れないけど)伝わってこないのはあんまりではないかと思うし、見たばかりの”Barbie”との関連で思うところもあったし。

見るのだったらIMAXの70mmで、と思って探したのだが、リンカーンセンターのAMCもUnion SquareのRegalも、平日の10:30の回なのにほぼ埋まっている状態で - 英国のBFIのIMAXもそうだった - 取れないので、普通の70mm版にする。 興行収入で”Barbie”の方が圧勝したのは、どうせ見るなら70mmで、って、急がずに混雑を避けた結果なのではないか、たぶん。

Village EastをやっているAngelikaは独立系の映画を沢山上映しているチェーンで、NOHOにあるぼろいシネコンにはよく行った。Village Eastは大昔からあるすごく古いシアターで、むかーし、PTAの”The Master” (2012)の65mm版を見たのもここだった。

原作はKai Bird and Martin J. Sherwinによる評伝本 - “American Prometheus: The Triumph and Tragedy of J. Robert Oppenheimer” (2005) で、Christopher Nolanの監督による米国の原爆の研究開発 – マンハッタン計画 - に貢献した物理学者J. Robert Oppenheimerの評伝ドラマ、に留まらず彼を中心とした研究者サークルや軍関係者、家族に愛人、開発と成功に向けた困難や葛藤を中心とした重厚な時代劇となっている。 3時間、まったくだれないことは確か。

1920年代のドイツで量子物理学を専攻していてアトミックが蠢き飛び散るビジョンにとらわれている若いOppenheimer (Cillian Murphy)の姿と白髪頭になり、疲れ切った様子で赤狩りの網にかかって尋問 - 原爆の機密情報をロシアに漏らしたのではないか等 - を受けていく彼、ニューメキシコ州ロスアラモスの荒涼とした土地に建設された秘密の研究所の所長としてひたすら前に進んでいく彼、などを行ったり来たりのランダムに繋いで、全体としては戦争の勝利 = 大量破壊兵器-核開発の妄執にとりつかれた個人と集団を巡るどす黒いホラーのようで、映画は頑としてこの集団域の外に出ず – 戦況でドイツがこうなった/日本は降伏しない、等がこの集団ヒステリー状態をドライブし加速していって、それがもたらした結果についても伝聞として中に伝わってくるだけで – 彼らの内輪の狂騒がもたらした広島、長崎の惨状やここから20世紀後半の世界を支配した冷戦についても同様、すべては彼らの脳内とサークル周辺で満たされて完結して、ただそんなでも混沌と怒号が渦を巻いて、くだんないプロジェクトなんとかみたいなハッピーエンディングのドラマにはならない。見る側のことかも知れないが、なりえない何かがずっとある、という矛盾だらけの視点を飲みこんでそれが引き裂かれたフランケンシュタインのような肖像をつくる。少なくともOppenheimerには「よいヒト」っぽいところもあった、みたいな描き方はしていない。

だから彼の周りにいる科学者や軍人、政治家の臭みと強み - Matt Damon, Robert Downey Jr., Gary Oldman, Benny Safdie, Rami Malekなどはどれもじゅうぶん匂うし、女性ふたり - Florence PughもEmily Bluntもほぼ男性のような振る舞いを見せて、彼らが境界線強めのカラーとモノクロそれぞれで内輪のお喋りと小競り合いを延々続けて、あんな歴史と死者の山を築いた。

そして、優秀な科学者であるOppenheimer はこれから起こりうることを、この爆弾が都市を一瞬で灰にしてその健康被害が延々続いていくことも、この爆弾が大国のパワーバランスを狂わせて終わりのない兵器開発に向かわせてしまうこともぜんぶわかっていた。あの窪んだ虚ろな目で。 これでも、それでも科学は中立だとかまだ言うか?

“Barbie”もこれも「歴史的な事実」をベースに20世紀の歴史や価値観が変わった瞬間や節目について、それがどうして起こったのか、起こる必要があったのか、ということに着目していて、”Oppenheimer”はそれを誰もが知っている象徴的な偉人の周辺に集約させ、”Barbie”はRuth Handler、というよりは、彼女が作り出した虚構の世界を軸に現実世界を反転させようとする試みを描く。”Barbie”はその「フェミニズム」のありようも含めて極めて脆くて弱いが、”Oppenheimer”が作り出したオトコ社会のそれは、生々しくどろどろと今も目の前にあり、我々はアメリカ – Oppenheimerがもたらした死そのものとして、腐臭ぷんぷんでここにあって、これらをどうするか、真剣に考えるしかない。あーめん。
 

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