7.21.2020

[film] Hvítur, hvítur dagur (2019)

12日、日曜日の晩、Curzon Home Cinemaで見ました。アイスランド映画で、英語題は”A White, White Day”。タイトルはアイスランドの諺から来たもので「すべてが真っ白で天と地の境目がなくなるそんな日には、死者が話しかけてくるよ」とかいうの。

冒頭、深い霧のなかを進んでいく車をカメラは後ろから追っていくと、それは突然柵を破ってその向こうに消えてしまう。もうひとつは殺風景な原野の中に建つ発電所みたいに素っ気ない一軒家が周囲の四季が変わっていくなか少しずつリノベーションされていく様子をタイムラスプで映しだす。

Ingimundur (Ingvar Eggert Sigurðsson)はまだリノベが続くその家に移ってきた停職中の初老の警察官で、可愛がっている孫の女の子がいて、でも娘夫婦には少し距離を置かれて怖がられていて、そのうち彼は冒頭の車の事故で妻を失ってそこに来たこと、停職中なのは癇癪持ちでキレるとどうしようもなくなってしまうせいで、そのために精神科医との定期的なセッションをしていること、等々がわかってくる。

そのうちIngimundurは妻の遺品のなかから図書館カードとか写真とかビデオカセットとかを掘り起こして、PCの画面からだと判別もできないようなそれらの細部から妻が浮気していたのではないか、という疑念が浮かび、その疑念が新たな疑念を呼んで、その疑念と無念とこんちくしょうに絡めとられ逃れられなくなって、相手の男を突きとめると精神科医とのセッションもぶち壊して暴走機関車に…

冒頭の謎めいた画面の動きからすると、或いはIngimundurの北欧神話に出てきそうな風貌からすると、彼の妻は何者かに殺害されたか超常現象に巻きこまれたかに違いなくて、復讐の鬼と化したIngimundurが(Liam Neesonふうに)執念で追い詰めていく(そうしているうち第二第三の惨劇が…)、そっちの方かと思うのだが、そこはいかなくて、例えばサッカーの試合で、あいつかー、って寄って行ってわざとぶつかってみたり。

起源が彼のそもそもの気性にあったのか妻との家庭生活にあったのかその両方なのか、彼がどっちに転ぶかどこに行ってしまうのかは予測不能なので、それらが脈絡なく波状段段でやってくる怖さとスリル(まだあるのかやるのか、とか)、それがいかにもサイコパスっぽい謎男から発せられるのではなく、ハイジのおじいさんみたいな一見正義漢ふうの人(警官だし)から現れて突然ぶち切れられたりするのが怖いといえば怖い。でも、よくよく見てみるとその怖さのコアはアイスランドの原野の一軒家だから、でもなんでもなくて実はそこらにふつうに転がっているような。これと同じことがグリーン・グリーンのジャングルの奥地で起こらないとは言えないような。

冒頭のショットが思い起こさせる”The Shining” (1980)から超常現象を除いてぜんぶ真っ白くしたらこんなふうになるのかも。 建てかけている途中の家のがらんとした怖さ、屋内も屋外も寒々のきついかんじはとってもある。

あんな大きな家があるなら、でっかい本棚とでっかいスピーカーを置けばごきげんになるのにな..


もうお家で仕事を始めて4ヶ月が経ってしまった。 1年の1/3を在宅勤務で過ごした、ってなんかすごいことかも。 しかもみんなちっとも会社に、通勤の生活には戻りたがっていない。  あの地下鉄じゃねえ…   もちろん前期比での「業績」みたいのはがたがたになるのは見えているけど、それは在宅が直接の理由ではないし、意味ある比較になるとは思えないので、もうこの状態を「正」にしちゃえばいいのに。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。