7.30.2020

[film] Happy-Go-Lucky (2008)

23日、木曜日の晩、Criterion Channelで見ました。貼ってあったSally Hawkinsさんの笑顔が素敵だったのと、なによりもHappy-Go-Luckyになりたかった気がする(今も)。 日本では東京国際映画祭で上映されたのみ?

London – Camdenの辺り? - で友人とフラットをシェアして暮らしているPauline - "Poppy" (Sally Hawkins)がいて、特に表明するわけではないけど基本は鼻歌歌ってハッピーで楽しいモードで過ごしたいと思っていて、自転車こいで本屋に入ってご機嫌で挨拶して無視されたって平気だし、そこを出てきたら自転車が盗まれていてもちぇっ、くらいのノリでやっている。

女友達数人でライブに行ってわーきゃー騒いで(Pulpの”Common People”)、そのままだらだら飲んで喋って笑って朝まで、みたいな日々、でも別にいいかーって。

そんなふうに日々を過ごしていてもなんか端々に見える影みたいのがあって、それってなんなのかしら? って。不幸を呼びこむ不吉なホラーななんかではない(たぶん)のだが気になる。(わかる)

小学校の先生をしていると、休み時間に馬乗りになって虐めをしている男の子がいるし、車の教習を始めて迎えに来てくれる先生のScott (Eddie Marsan)は自信たっぷりで教え方もよいみたいだけど、すぐにレイシストみたいなこと言って沸騰してキレるのでこわいし、夜中に道端に座ってぶつぶつ言っているホームレスみたいなおじさんのことも心配になるし、友達の自宅新築祝いに行けば夫婦喧嘩が始まってはらはらするし、気がつけば腰のあたりが痛いし、こんなのは日々周りにあってカタストロフになることはあまりないと思うし、心配していったらきりないし見なかった聞かなかったってやり過ごすのが無難であることは十分承知しているのだが、なんかどこかおかしいんじゃないか。

なにごとも前向きにポジティブにがんばろう、えいえいおー! までは行かないしそれを標語みたいに振りかざしたり推進するつもりもない。ただなにやら不機嫌らしい向こうの誰かが(おそらく)意識しないところで肘鉄みたいなのをくらわしてくる、上に乗っかってこようとする呪いみたいなあれらってなんなのか。(ほんとに)

というこまこました内容のPoppyの戦いを不穏、というほどでもない緊張のなかで描いていって目を離すことができない。30歳でシングルで、そろそろ素敵な彼でも見つければさ、ってそういう線も少しだけ描かれるのだが、そういうことではないのだ、って断固。

ひとつひとつの圧とか突っかかりに対して明るく真面目に返していくPoppyがいつブチ切れた相手にやられてしまうのか、あるいは自分で壊れて/壊してしまうのか、あるいはひょっとして宙返りして解かりあえてしまったりするのか気が気でないのだが、その緊張関係を保ちつつ、不可解でGrumpyでUnhappyなそれらの周りをゆっくり回っていく。これがわたしの生きる世界。

妥協も遠慮もする必要はないし(向こうもそうだろうし)、日本だと愛嬌とか気配りとか異次元からの圧(ハラスメントだよ)とかミソジニー野郎共が狂喜してぶつかってくるのだろうけど、勝つ必要も負ける理由もない、Happy-Go-Luckyでいいの。

ほーんとにさあ、向こうから不機嫌に当たってくる奴ら、なんなんだろうね? (映画とは関係なく)

よくありがちな応援歌、みたいなのに落着したらやだな、ていうのもあったのだが、それもなくて、そこはSally Hawkinsさんのすばらしさだと思う。その笑顔に半魚人でもゴジラでも寄ってくる。

もうちょっとがんばったらロメールの世界にできたかもしれない、けどそれってそもそもこの21世紀には無理なやつなのかも。 あと、こんな世界をお酒の力でなんとかしようとしてなんとかしてしまう極めてアジア的な"Happy-Go-Lucky"がホン・サンスの世界なのかもしれない。知らんけど。

ラストシーンがほんとよくて、池でボート漕ぎたいよう、になる。


ここのところずっと涼しかったのだが、今日の午後になって真夏が戻ってきて暑くなる。これが7月の最後の、木曜日にきたということ。

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