12.06.2017

[art] Portrait of the Artist: Käthe Kollwitz, 他

アート関係を纏めて。あんまし纏めてしまいたくないのだが。

Thomas Ruff: Photographs 1979 - 2017

11月11日の土曜日、Whitechapel Galleryで。
"Porträts "のシリーズを始めとして、Ruffのは昨年の国立近代美術館のも見たし、7月にStädel Museumでの"Photographs Become Pictures"でも見ているのだが、今回のは初期の連作"L’Empereur"(1982) が見たかった。 感触は同様に初期の"Interieurs"に近い、室内のもやっとした暖かい光のなかでぐんにゃり折れ曲がって崩れて置物のように放置されている若者 - Ruff自身 - これのタイトルが「皇帝」って、素敵。  彼の写真は表面の肌理の粗さ - 細かさ、暖かさ - 冷たさ、強さ - 弱さ、などを通して見られる対象としての写真の置かれようを問いかけてきて、これって写真というアートフォームに留まらない今のアート全般に関わるでっかい問題で、だからあんなにでっかいのよね、とか思った。

Portrait of the Artist:  Käthe Kollwitz

11月18日の土曜日、電車でバーミンガムに行ってIkon Galleryていうところで見ました。
バーミンガムはロンドンから電車で2時間くらいのところで、こないだの夏、OxfordにRaphaelを見にいったのと同じ少し遠出してみようシリーズ。東京から佐倉とか伊豆とかに行くようなかんじかしら?
初めてなので地図を見ながら歩いていったのだが運河があって、おもしろい建物がいっぱいあった。

ドイツの表現主義に分類される画家、版画家、彫刻家 -  Käthe Kollwitz (1867?1945)の展示。 British Museumとの共催で展示作品の殆どはここから、あとは個人蔵のがいくつか。 作品はエッチングとドローイング、戦争の悲惨をモチーフにしたものとSelf Portraitが殆どで、4バージョンくらいの"Frau mit totem Kind" (Woman with dead child) (1903)の爪で引っ掻いてその傷に酸を練りこんだかのような痛ましさと、Self Portraitに漂うどんよりとした無力感とか凍りついたようななだらかな背中とか。 他には "Vergewaltigt" (Raped) (1907)の凄惨さと。 昔はこういうのあまり見れなかったのだが、今は見なきゃいけないよね、になってきているのはなんでか。
これはカタログ買った。

バーミンガムには他に、Birmingham Museum & Art Galleryていうでっかい美術館があって、ついでに寄ってみる。
ここには、The Pre-Raphaeliteギャラリー、ていうラファエル前派に特化したコーナーがあって、なぜかというとEdward Burne-Jonesがバーミンガムの生まれだったりするから?  

John Everett Millaisの"The Blind Girl" (1856) - 虹! とか、大理石彫刻でAlexander Munroの"Paolo and Francesca"(1851-1852) とか。 じんわりうっとり、それだけでもいいの。

他の展示でおもしろかったのは"The Birth of the British Curry"ていうので、英国で最初にできたカレー屋はロンドンのだとか、当時の厨房の様子とか従業員の寝るスペースとかが並んでいる。 カレーに対する特別な思いみたいのって、どこの国にもあるんだねえ。(あんまよくわかんないけど)

Impressionists in London
11月25日の土曜日、Tate Britainで。
最初に告知を見たときはどういう内容のかよくわかんなかったのだが、1870年代、Franco-Prussian War - 普仏戦争の戦火を逃れてロンドンにやってきたフランスの画家たち -  Monet, Tissot, Pissarro, Sisley - などが描いた当時のロンドンの社交界とか田舎風景とかを纏めたもの。

彼らの描いたロンドン、いいでしょ? でもなく、彼らからしても逃げてきて他にすることないから描いたのよ、程度かも知れず、あんま焦点が定まった展示にはなっていないのだが、19世紀のロンドンの風物(フレンチふりかけ)を絵葉書を見るみたいに眺める、そういう面白さはあったかも。

これらと文脈は異なるものの同時期にロンドンの川を描いたWhistlerの"Nocturne"のシリーズが素敵だった。
あと、おもしろかったのはMonetの"Leicester Square at Night" (1905) - まるでHodgkinみたいな抽象になっていて、このころからあの界隈ってあんなだったのかな、って。

Rachel Whiteread
同じ25日に。 93年にターナー賞を受賞しているRachel Whitereadの回顧展。(いつもつい「ホワイトヘッド」て読んでしまう)
だだっぴろい空間に彼女の彫刻とかオブジェとかがごろごろ置かれていて、その置かれ方も含めてなんだか異物のおもしろさ。
なんで水枕? がこんなふうに置いてあるのか? それを見たときに感じる微妙な違和感はなにから、どこから来るものなのか?
スケールの違い、素材(感)の違い。 それはこっち側(認識、識別)にあるのか、対象のほうにあるのか。

Thomas Ruffの写真を見たときに感じるあれ、と少しだけ近い気がした。
単に「見る」ことだけでは我慢できないような何かが頭の奥を突っついてくる、動くわけがないのに何かが動いてきて、そこにいるの。

あと、Tate Britainでやってた小展示 - 新たに購入した絵で、
William Stott of Oldham(1857-1900)の  "Le Passeur (The Ferryman)" (1881)がすばらしくよかったので今度行くひとは見てみて。
夕暮れ時、女の子ふたりが川を眺めているだけなんだけど。

http://www.tate.org.uk/art/artworks/stott-of-oldham-le-passeur-the-ferryman-t14872

Cézanne Portraits
11月26日、National Portrait Galleryで見ました。 Musée d'Orsayでやっていた展示が巡回してきた(んだよね?)

Cézanneはなんでも見ることにしているので普通におもしろかったのだが、肖像画だと2014-15年にメトロポリタン美術館でやった"Madame Cézanne" - Hortense Fiquet を描いた29作品のうち25枚を集めた展示のほうが勉強になった気がした。
最初期の自画像と最後の自画像との対比(できる距離に置いてほしいのにー)がいろんな意味でおもしろかったかも。
晩年の肖像画たち、描かれた人々の目はほぼ窪んだ虚ろな穴になっていて、亡霊のようで、でもそこにあることは、あるの。
(ヒトを描いているかんじはあまりないかも。 ヒトもリンゴも、割とどうでもよくなっていたのかも)


まだあるのだが長くなりそうなので一旦、きる。
12月は絵をいっぱい見ることになりそう、ていうか、見たいので見るから。

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