12.30.2015

[film] Happy Hour (2015)

27日の日曜日の午後、イメージフォーラムで見ました。 「ハッピーアワー」。
これと「アルカディア」だけは、なんとしても今年中に見たくて見たくて。

3部構成で、5時間17分。 あっというま。 めちゃくちゃおもしろいのだが、このおもしろさをどう説明できるのだろうか、てちょっと考えてしまう。 過去の映画との対比で、あれと似ているこれと似ている、とかあまり言えないような。 たしかにJohn Cassavetesの"Husbands" (1970)の男女反転版、であって、俳優の生々しいエモが芝居の枠を超えて滲んでくるようなところは近いのかもしれないけど、なんかCassavetesの映画にある魅力粘力とはちがう気もして。 おもしろさの質感として一番ちかいのはFrederick Wisemanあたりかもしれない、とか。 ワークショップとか裁判とかが出てくるから、でもなくて。

神戸が舞台で、37歳の仲良し女性4人組のおはなし。 ふたり(桜子と芙美)は結婚していて、うちひとり(桜子)は子供がいて姑も同居していて、うちひとり(芙美)は夫婦でばりばり働いていて、ひとり(あかり)はバツいちで、ひとり(純)は離婚裁判中で、夫と別れたがっている。
あかりは看護師で、芙美はアート関係のイベントプランナーで、桜子は専業主婦で、純は家を出てコロッケ屋でパートをしていて、4人はなんでも話せる間柄で揃ってピクニックに行ったり、芙美の企画したワークショップに参加したり、温泉に行ったり、(裁判に行ったり…)。

4人の紹介とともに4人ひとりひとりの事情や状況に分け入っていって、先が不安じゃないひと、問題を抱えていないひと、関係がうまくいっているひと、なんていないのよね、に至るまでの過程 — つまり4人が映画を見ている我々にとってとても近しく親密な人たちになっていくまで(あまり見ていたくない嫌な奴らだったらどうしよう - ああそうじゃなくてよかったねえ - になるまで)が、とても素敵な時間(Happy Hour)で、第一部の終りまでにそのじゅうぶんな感触が得られたところで、ああこれはとんでもない、かけがえのない傑作になるかも、ていう予感でぞくぞくしてくる。

第一部のほとんどをしめる「重心」をめぐる怪しいワークショップとその後の打ち上げのやりとりを通して、頭で考えることとやってみること、その結果と結果の受けとめ方は各自ばらばらなんだねえ、などということがわかり、第二部の冒頭、純の裁判で結婚生活における条理不条理寛容不寛容などなど、が思いっきり可視化されて、それはやがて純のエモと純のことを思う各自と純のケースを通して自分たちの置かれた位置を考えるところに重心が移動して、第三部では芙美(と旦那)の企画した朗読会でいろんなことが脱臼したり滑落したりぐじゃぐじゃになって、でも構うもんか、つい拳を握って俺たちはなあ … はてなんで自分は俺たちなんて言っているんだ? みたいなことになっていく。 あーわかんない、こんなの文章で説明できるおもしろさじゃない。

いっそのこと関西の世話好きなおばちゃん(あるいはその予備軍)ムービー、みたいな括りかたをしてしまってもよいのかもしれないが、そういう単純下世話なおもしろさだけではない、親密になる親身になるとはどういうこと・状態をいうのか、そこにおいて当事者とはどういう人のことをいうのか、蚊帳の外にいるのはだれか、それはなんでなのか、などなどを「自分のこととして」考えること、考える方向に誘導するかのように彼女たちの言葉はこちらに届いてくる。  Wisemanに近いかも、と思ったのはこの辺りかもしれない。
(普段そういうことを考えたりそういう渦中に叩きこまれたことのない幸せなひとは見なくてよいかも)

例えば家庭や仕事、人間関係や将来への不安をめぐる共感やその和解/決着にフォーカスしたドラマだったらこんなおもしろいものになっただろうか?  どこにも決着点なんてない/ありえない、少なくともそれ(解消)に対する目線やアプローチはひとりひとりで(あたりまえのように)異なるのだ、という地点から始まっているが故のスリルはあるかも。 どうあがいてもだめかも無理かも、というところから湧いてくる祈りとか僅かな期待とか、それ故のものすごい安堵とか底なし不安とかのアップダウンと。 こういうのが全部ひととひとの会話と睨み合いの中のみで転がっていく。

濱口竜介監督の作品はそんなに多く見れていないのだが、例えば「なみのおと」 (2011)での切り返しや語りの転がしかたとこの作品のそれは地続きだったりするのだろうか。

本格営業が始まる前の、割とどうでもよくて安価で気楽にわーわーできる時間 - Happy Hour。
でも前だろうが後だろうが、アルコールでひとは酔うし揺れるし幸せになれるし、時間がきたら追い出されちゃうのかもしれないけど、でもいいじゃん、ていう。 どっちみち溝や穴や闇はあるにせよ、ていうかそんなのどうせあるんだからさ ー。

こんなふうに見た人それぞれに際限なしにいろんなことを考えたり語りたくなって止まらなくなる作品で、それを可能にしているのは脚本もあるのだろうが、行き着くところは主演の4人のすばらしさではないか。 特に純役の川村さんとか、成瀬のメロドラマに出ているのを見たくなるくらいすごいと思った。

ものすごくおかしいシーンもいっぱいあって、おばあちゃんの拳固とか、クラブでのキスのとことか、桜子が電車で去ってしまうとことか。 あと、男性共は基本どいつもこいつも愚かで気持ちわるくてクズなのもたまんない。 特にあの生命物理学者のあいつとか。

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