9.13.2015

[film] Greatest Hits (2012)

22日の土曜日、「クリス・フジワラの「映画表現論」 現代映画とはなにか?」の3日目、3本目の上映と先生による講義。

原題は“Los mejores temas” 、監督はメキシコのNicolás Pereda。

歌謡曲のグレーテスト・ヒッツのミックスCDを街角で売って生計を立てている若者、母と妹と暮らしているその家に、15年間蒸発して不在だった父親Emilioが突然帰ってくる。 当然妻も息子も妹も反発してあれこれ言うのだが、父親は悪びれるふうもなく、当たり前のように日常に入りこんできて、ふつーの「家族」であるかのように暮らし始める。

前日の”Exit Elena”では外から入り込んだ娘の目を通して、この作品では元々そこにいたはずの男の目を通して家族のありよう - 個人の集合体ではあるが、「家族」として括られて守られるべき規範がある - があぶり出される。 例えば、家族の構成員はふつう、その家に帰ってきて、そこでみんなと一緒に暮らすもので15年も留守にしているなんて、ふつうはありえない。 例えばグレーテスト・ヒッツにおいて、その選曲と順番が大きな意味を持つ(なのでそれを売っている息子は曲の順番を必死になって覚えている)のと同じように。

もういっこ、後半になると別の俳優が演じるEmilioにより、別のかたちで物語が進んだり別のエピソードが出てきたりする。 家族の物語において、別のものに置き換え可能ななにかがあるとしたらそれはいったいなんなのか、過去におこった出来事もグレーテスト・ヒッツのアイテムように取り替えることができるのか、とか。

さらにさらに、この映画の変てこなところは、そうやって家族やその歴史のありようを異化するだけではなくて、あんまあってはならないようなことも起こる - 撮影スタッフ(と思われるひと)の声がカメラの側から出演者に話しかける - ことで、フィクションとドキュメンタリーとの境界も「家族」の概念を巡って曖昧に揺れはじめる。 一瞬、え? となるのだがそんなに違和感なく、ここをきっかけに全体の構成が転換されることもなく、この後はふつうに進行していくの。

すごーくおもしろい場面があるわけではないのだが、終始画面から目を離すことができなくて、異様な長回しも含めて考えされることいろいろ、変な意味でこゆい映画であることは間違いなかった。


映画の後で、フジワラ - 藤原組による3本の映画を俯瞰した「現代映画」をめぐる講義。
「現代映画」と”Contemporary Cinema”は日本語と英語で若干ニュアンスが異なることを確認した上で、現代映画を特徴づける4つの要素として以下を挙げる。

1. Division, Separation from 商業映画
2. デジタルの導入による低予算化
3. デジタル化の帰結として巨大な情報空間のひとつに分散化されている
4. 映画そのものの衰退に伴う観客の分散化、断片化

でもそれは「映画の死」に安易に繋げられるものではない、と。そんなものは映画が生まれたときからずっと言われていることなんだし、と。

で、今回上映された3本を振り返りつつ、「家族」へのフォーカスや演出上の特徴を“Hybridization of Fiction and Documentary” や“Slow Cinema”というところに集約させて、そこにLav DiazやPedro Costaの名前をだす。

あとは、時間感覚のこと - 今、それがどのような時間であるのか、という意識、時間の複数性に対する問いかけが常にある、というあたりはそうだよねえ、と思いつつ聞いた。

タイトルとか予告だけで見なくてもゴミってわかるような邦画とか、ああいうのも一応、現代映画なのかしら、とか。

それにしても、フジワラ先生久しぶりだったけど、やっぱりおもしろかったねえ。
ラストのQ&AのXavier Dolanの件とかも。

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